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誰かに相談されたわけじゃない
誰かに相談されたわけではありません。ただ、見ていて、そう思っただけです。
部活を引退した子たちが、そのあとどうしているか。目標がなくなって、時間だけがぽっかり空いて、その使い方が、どうにも、もったいない。
外から見ていた大人の、勝手な感想です。本人たちは何も言いません。「引退して、ぽっかりした」なんて、たぶん口にしない。
でも、もったいないと思ってしまいました。だから、これを書いています。
正直に言えば、できる限り勉強してほしい、とも思っています。受験があるなら、なおさらです。
ただ——「勉強しなさい」と言われて動いた子を、私はあまり見たことがありません。
「何もしない」のではなく、「何をしていいか分からない」
ここを、大人はよく間違えます。私も間違えていました。
引退した子が、スマホばかり見ている。昼まで寝ている。声をかけても生返事。
それを見て、「怠けている」と判断してしまう。
でも、本人の中にある言葉は、たぶんこっちです。
「何から始めたらいいか、分からない」
昨日まで、考えなくてよかったんです。何時にどこへ行くか、何をするか、誰と会うか。全部、決まっていた。指示があって、仲間がいて、次の試合があった。
それが、ある日いっせいに無くなる。
怠けているのではなくて、手すりが消えたのだと思います。
あの子は、同じ日に三つを失った
引退の日に子どもが失うものは、一つではありません。三つあります。
大人に置き換えると、たぶん分かりやすい。
仕事を辞めて、毎日通う場所がなくなって、締め切りもなくなる。それが同じ日に、いっぺんに来る。
そう考えると、スマホを見ている時間は、怠けというより「真空」を埋めているのかもしれません。
何も入っていない時間に平気でいられる人は、大人にだって、そう多くないのですから。
だから「勉強しなさい」は、届かない
「勉強しなさい」は、正しい言葉です。でも、大きすぎる。
何もない部屋に立っている人に、「立派な家を建てなさい」と言うようなものです。
正しさは伝わる。でも、最初の一手が分からない。
必要なのは、正しさではなくて、小ささでした。
二宮尊徳「積小為大」――小さいから、続けられる
積小為大(せきしょういだい)。「小を積みて大と為す」。
荒れた村を次々に立て直した二宮尊徳が、生涯かけて言い続けたことです。
『二宮翁夜話』には、こんな言葉が伝わっています。
大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。小事つもりて大事となればなり。
大きなことをしたいなら、まず小さいことをやれ。小さいことが積もって、大きなことになるのだから——。
尊徳がすごいのは、「頑張れ」と言わなかったところだと思います。
一株の菜種、一畝の荒れ地。続けられる大きさまで小さくしてから、渡した。
引退した子に必要なのも、これではないでしょうか。
渡していい、三つの箱
失ったものが三つなら、返すものも三つでいい。
親がやってあげるのではなく、箱だけ差し出して、中身は本人に決めさせるのがコツだと思っています。
一つ目:移植の箱(習慣を、そのまま引っ越しさせる)
部活があった時間帯に、別のことを入れる。それだけです。
夕方の二時間が練習だったなら、その二時間に机に向かう。中身は変わっても、「その時間に何かをする体」は、もう三年かけて出来上がっている。ゼロから習慣を作るより、はるかにやさしい。
勉強してほしいなら、ここが一番効きます。
「勉強しなさい」ではなく、「練習の時間、空いてるな」。
二つ目:試す箱(週に一つ、新しいことを試す)
やりたいことは、考えて出てくるものではなくて、試した回数から出てくるのだと思います。
バイト、料理、動画編集、資格の本を一冊、行ったことのない駅で降りてみる。
続かなくていい。「合わなかった」も、立派な一つの答えです。
引退直後は、人生でいちばん自由に試せる時期かもしれません。
三つ目:返す箱(教える側に回る)
後輩の練習に、顔を出す。下の子にコツを一つ教える。
教えると、自分がやってきたことが、言葉になります。
「あ、自分はこんなことを考えてやってたんだ」と、三年間を自分で確認できる。
そして、失った居場所が、半分だけ戻ってくる。
自分の持ち場を照らすことが、そのまま誰かの光になる——最澄が言った「一隅を照らす」も、同じことだと思います。(最澄「一隅を照らす」の記事はこちら)
今日の一歩
親から子に、質問をひとつ渡すだけでいいと思います。
「部活は、お前に何をくれた?」
答えはすぐ返ってこないかもしれません。「知らん」で終わるかもしれない。
それでいいと思います。渡した問いは、こちらが忘れたころに、本人の中で芽を出します。
おわりに
引退は、終わりではなくて、転部だと思っています。
競技は変わります。相手も、道具も、ルールも変わる。
でも、続ける力は、競技を選びません。
朝が早いのに起きたこと。負けた次の日も体育館に来たこと。うまくいかない日をまたいだこと。
それは全部、これから何をするにしても使える力です。
いま、何をしていいか分からずにぼんやりしている子は、怠けているのではなくて、次の「小さいこと」を渡されるのを待っているだけなのかもしれません。
だから、大きなことは言わなくていい。
小さいものを、一つだけ、そっと置いてみる。
積小為大。それは、荒れ地を立て直した人が、百五十年前に証明してくれています。
いまいる場所で咲くという言葉も、そばに置いておきたい一言です。(渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」の記事はこちら)
この生き方を、もっと知りたい方へ
『教養として知っておきたい二宮尊徳』(PHP新書) 荒れた村を数百も立て直した男が、何を考え、どこから手をつけたのか。「積小為大」がただの精神論ではなく、具体的な手順だったことが分かります。
