— 和の章
「自分は大したことをしていない」と思う日に――最澄「一隅を照らす」
自分は大したことをしていない――画面の向こうの華やかな成果と比べて、そう感じる日に。「径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なり」。1200年前、12年間山にこもった青年が遺した言葉。これは「我慢しろ」ではなく、「照らせ」という、極めて能動的な生き方の教えです。
CHAPTER
茶・和室・陶器・盆栽・相撲 — Nipponの美と心
6件
自分は大したことをしていない――画面の向こうの華やかな成果と比べて、そう感じる日に。「径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なり」。1200年前、12年間山にこもった青年が遺した言葉。これは「我慢しろ」ではなく、「照らせ」という、極めて能動的な生き方の教えです。
何か月も準備して、たった一日で終わる。何も生産しない。それでも日本人は千年以上、祭りを続けてきた――柳田國男の「ハレとケ」。日常(ケ)が続くと生命力は枯れていく。祭り(ハレ)は、それを回復させる装置だった。休むことは、サボりではない。
「自分ひとりが動いても、何も変わらない」――でも、専門知識も権力もない一人の住民が、巨大な開発計画を止めたことがある。ジェイン・ジェイコブズの「通りの目」。街を守るのは監視ではなく、関心。一人の住民でも、街は変えられる。
頑張っているのに、空回りする。2500年前、老子は最高の善を水にたとえた――「上善は水の如し」。争わず、低きに流れ、形を変えても本質は失わない。力を抜く強さを、水に学ぶ。
自分だけ得をする人は、なぜ長続きしないのか。近江商人の答えは「三方よし」=売り手よし・買い手よし・世間よし。名も刻まず地域に尽くした商人たちの、400年続く信頼の知恵。
予定が空いていると不安になりませんか。2300年前の荘子「無用の用」=役に立たないものにこそ価値がある。役に立たないから生き延びた木の寓話に学ぶ、余白の力。