和育道〜wa-iku〜

CHAPTER

和の章

調和・日本の美意識・地域・共に生きる

29件

— 和の章

思ったより穫れて、そして腐らせた――ジャガイモに教わった、手間ひまの話

株ごと持ち上げたら、根にゴロゴロぶら下がっていました。思った以上の収穫です。ただ、大きさはバラバラでした。同じ日に同じ畑に植えたのに。そして穫れすぎた分は、配っても保存しても追いつかず、腐らせました。売っているものを買って食べていただけの私が、掘る側に回って分かったことを書きます。

— 和の章

濱口はまぐち梧陵ごりょう「稲むらいなむらに火を放ち、4年かけて堤防を築いた」――語られない、そのあとの仕事

津波が来る。しかし暗くて高台への道が見えない。彼は収穫したばかりの自分の稲に火を放ちました。有名なのは、この一夜です。けれど本当の仕事は翌日から始まります。村は壊滅し、人が出ていこうとしていました。彼が作ったのは堤防であり、4年分の仕事でした。

— 和の章

川淵かわぶち三郎さぶろう「クラブに、企業名を入れさせない」――そのチームは、誰のものか

Jリーグの発足にあたって、彼はクラブ名から企業名を外すことを条件にしました。お金は出してください、ただし名前は出さないでください——猛烈な反発が起きます。それでも譲らなかったのは、会社は撤退できても、町は撤退できないからでした。30年後の風景を作った、一行のルールの話です。

— 和の章

小林こばやし一三いちぞう「乗る人がいないなら、町をつくればいい」――需要は、探すものか、作るものか

国が空き家対策の制度を作ってから2年。それでも空き家は減っていません。議論の多くは「どう処分するか」です。けれど、田んぼと山しかない土地に線路を敷き、そこに住む理由から作ってしまった人がいました。30代半ばで無職になった男の、問題の立て方の話です。

— 和の章

「今年も終わったんだな…」――地域の夏祭りが終わり、誰もいないグラウンドに立ったとき

今年も地元の夏祭りの運営に関わりました。私がやっていたのは、車の誘導です。人が楽しんでいる時間、私はだいたい駐車場のあたりにいました。全部の車が出ていって、誰もいなくなったグラウンドを見たとき——今年も終わったんだな、と思いました。祭りの「見えている時間」は、いちばん短い。

— 和の章

中江なかえ藤樹とうじゅ「五事ごじを正す」――命令も規則もなしに、村が勝手に変わっていった

チームが動かないとき、私たちはつい仕組みのほうを疑います。江戸初期の近江に、命令も規則も作らず、自分が正しく在っただけで村ひとつを変えた人がいました。教えの中心は「五事を正す」——顔つき、言葉、目、耳、心。高尚な哲学は一つもなく、全部、今日この瞬間からできることでした。

— 和の章

出光いでみつ佐三さぞう「馘首かくしゅはならぬ」――仕事がゼロの日に、1000人を誰も切らなかった

2025年の人手不足倒産は427件。3年連続で過去最多、人がいなくて会社が潰れる時代です。80年前、仕事がゼロで借金だけが残った日に、約1000人の社員を一人も切らないと決めた経営者がいました。「馘首はならぬ、仕事をつくれ」。信頼は成果への報酬ではなく、先に払うもの——順序を逆にした人の話です。

— 和の章

新渡戸にとべ稲造いなぞう「われ、太平洋の橋とならん」――あいだに立つ者は、両側から撃たれる

『武士道』は、日本人に向けて書かれた本ではありませんでした。「宗教教育のない日本で、道徳はどう教えるのか」と問われて答えられなかった一人の日本人が、外国人に日本を説明するために、英語で書き上げた本です。相手に渡ってこいと叫ぶのではなく、自分から半分を架けにいく。対話とは、そういうものだと思います。

— 和の章

塙はなわ保己一ほきいち――ヘレン・ケラーが目標にした、7歳で光を失った日本人

7歳で完全に失明し、点字も録音機もない時代に、耳と記憶だけで666冊の叢書を編み上げた江戸の学者がいます。かかった年月は41年。版木は17,244枚。そして、その一枚の枠が、いま私たちが使う原稿用紙の原型になりました。ヘレン・ケラーが幼い頃から目標にしていたのは、この日本人でした。

— 和の章

賀川かがわ豊彦とよひこ――生協も共済も、スラムに14年住んだ一人から始まった

生協、農協、労働金庫、共済。私たちが当たり前に使っているこの仕組みは、たった一人の男から始まりました。結核で余命わずかと診断された21歳のとき、当時最悪と言われた神戸のスラム街へ単身で移り住み、そこで14年間暮らした賀川豊彦。彼がたどり着いたのは「施しでは、貧困は解決しない」という結論でした。善意を、続く仕組みに変えるという話です。

— 和の章

雲門うんもん文偃ぶんえん「日々是好日」――「今日はダメな日だった」と思う夜に

「今日はダメな日だった」――一日の終わりに、私たちは無意識にその日を採点しています。茶室の掛け軸で有名な「日々是好日」。実はこれ、「毎日楽しく過ごそう」という前向きな標語ではありません。良い日・悪い日と裁いているのは、いつも自分の都合。唐の禅僧・雲門文偃が千年前に示したのは、その採点をやめる、という生き方でした。

— 和の章

最澄さいちょう「一隅いちぐうを照らす」――「自分は大したことをしていない」と思う日に

自分は大したことをしていない――画面の向こうの華やかな成果と比べて、そう感じる日に。「径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なり」。1200年前、12年間山にこもった青年が遺した言葉。これは「我慢しろ」ではなく、「照らせ」という、極めて能動的な生き方の教えです。