和育道〜wa-iku〜

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Articles · 100件

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— 和の章

思ったより穫れて、そして腐らせた――ジャガイモに教わった、手間ひまの話

株ごと持ち上げたら、根にゴロゴロぶら下がっていました。思った以上の収穫です。ただ、大きさはバラバラでした。同じ日に同じ畑に植えたのに。そして穫れすぎた分は、配っても保存しても追いつかず、腐らせました。売っているものを買って食べていただけの私が、掘る側に回って分かったことを書きます。

— 育の章

土を、50センチ掘り直した――去年、実がならなかったトウモロコシの話

去年のトウモロコシは、膝の高さで止まって一本も実りませんでした。原因は種でも水でもなく、土の深さでした。今年は50センチ掘り直し、苦土石灰と牛ふんを入れてから種をまきました。結果は——実りました。生で食べたら、めちゃくちゃ甘かった。ただ、実は小さかった。畑で気づいた「積小為大」の話です。

— 和の章

濱口はまぐち梧陵ごりょう「稲むらいなむらに火を放ち、4年かけて堤防を築いた」――語られない、そのあとの仕事

津波が来る。しかし暗くて高台への道が見えない。彼は収穫したばかりの自分の稲に火を放ちました。有名なのは、この一夜です。けれど本当の仕事は翌日から始まります。村は壊滅し、人が出ていこうとしていました。彼が作ったのは堤防であり、4年分の仕事でした。

— 道の章

御木本みきもと幸吉こうきち「17年、海に沈め続けた」――3年で「向いていない」と決めていないか

うどん屋の長男が、まん丸の真珠を人の手で作ると言い出しました。周囲からは「気が触れた」と言われ、赤潮で貝は全滅し、借金だけが膨らみます。それでも彼は、全滅した貝を開け続けました。最初の実験から成功まで17年。諦めない期間の長さの話です。

— 道の章

宮沢みやざわ賢治けんじ「教師をやめて、田んぼに降りた」――見届けられなくても、やるのか

生前に出版された本は2冊だけ。どちらも自費出版で、ほとんど売れませんでした。自分が始めた活動も、病に倒れて2年で終わっています。それでも彼が耕そうとした風景は残りました。「言っていることと、やっていることが違う」——そう言って教師を辞めた人の話です。

— 和の章

川淵かわぶち三郎さぶろう「クラブに、企業名を入れさせない」――そのチームは、誰のものか

Jリーグの発足にあたって、彼はクラブ名から企業名を外すことを条件にしました。お金は出してください、ただし名前は出さないでください——猛烈な反発が起きます。それでも譲らなかったのは、会社は撤退できても、町は撤退できないからでした。30年後の風景を作った、一行のルールの話です。

— 和の章

小林こばやし一三いちぞう「乗る人がいないなら、町をつくればいい」――需要は、探すものか、作るものか

国が空き家対策の制度を作ってから2年。それでも空き家は減っていません。議論の多くは「どう処分するか」です。けれど、田んぼと山しかない土地に線路を敷き、そこに住む理由から作ってしまった人がいました。30代半ばで無職になった男の、問題の立て方の話です。

— 和の章

「今年も終わったんだな…」――地域の夏祭りが終わり、誰もいないグラウンドに立ったとき

今年も地元の夏祭りの運営に関わりました。私がやっていたのは、車の誘導です。人が楽しんでいる時間、私はだいたい駐車場のあたりにいました。全部の車が出ていって、誰もいなくなったグラウンドを見たとき——今年も終わったんだな、と思いました。祭りの「見えている時間」は、いちばん短い。

— 道の章

5人の賢者――「やれ」と言う前に、彼らが済ませていたこと

戦後の経営者、高校野球の監督、江戸初期の学者、昭和の財界人、江戸の大名。時代も立場も違う5人が、全員同じ順番で動いていました。守る、線を引く、自分を正す、自分が削る、定義を残す——全部、命じる前に済ませています。「言わなくても動くチーム」の正体は、言う前にこちら側で終わらせてあることの多さでした。

— 育の章

上杉うえすぎ鷹山ようざん「伝国の辞でんこくのじ」――自分が去ったあとも、効き続けるものを残す

自分の代ではうまくいったのに、引き継いだ人の代で元に戻ってしまう。240年前、17歳で破綻寸前の藩を引き継いだ殿様は、自分の生活費を7分の1に削り、鍬を持って田に入りました。そして家督を譲るとき、次の代を縛る三か条を残します。やり方ではなく、目的を残した人の話です。

— 和の章

中江なかえ藤樹とうじゅ「五事ごじを正す」――命令も規則もなしに、村が勝手に変わっていった

チームが動かないとき、私たちはつい仕組みのほうを疑います。江戸初期の近江に、命令も規則も作らず、自分が正しく在っただけで村ひとつを変えた人がいました。教えの中心は「五事を正す」——顔つき、言葉、目、耳、心。高尚な哲学は一つもなく、全部、今日この瞬間からできることでした。

— 育の章

高嶋たかしま仁ひとし「甲子園は、自由にさせる」――48年握り続けた人が、最後に手を離した

先週の甲子園決勝、智弁和歌山が5年ぶりの優勝。その試合でベンチにいなかった人がいます。甲子園出場38回・春夏通算68勝の歴代最多監督、高嶋仁。「強打智辯を作ったことは1回もない」「甲子園は自由にさせる」。厳しさで土台を作り、本番では手を離す——48年握り続けた人の、離し方の話です。

— 和の章

出光いでみつ佐三さぞう「馘首かくしゅはならぬ」――仕事がゼロの日に、1000人を誰も切らなかった

2025年の人手不足倒産は427件。3年連続で過去最多、人がいなくて会社が潰れる時代です。80年前、仕事がゼロで借金だけが残った日に、約1000人の社員を一人も切らないと決めた経営者がいました。「馘首はならぬ、仕事をつくれ」。信頼は成果への報酬ではなく、先に払うもの——順序を逆にした人の話です。

— 道の章

伊能いのう忠敬ただたか――55歳の一歩目が、日本の形になった

50年先を選ぶには、若さがいるのではないか。41年かけるには、時間が要るのではないか。「もう遅い人はどうするのか」という問いに、真正面から答えを出した人がいます。最初の測量に出たのは55歳。その前に、19歳年下の天文学者へ弟子入りしていました。そこから17年、歩いた距離はおよそ4万キロ——地球一周ぶん。「もう遅い」は、たいてい事実ではなく気分です。

— 道の章

5人の賢者――今すぐの得を、手放した人たち

経営者、野球選手、江戸の国学者、江戸の思想家、明治の国際人。今週の5人は時代も国も職業もばらばらです。ところが並べてみると、全員が同じことをしていました。今すぐ手に入る得を、手放している。そして手放した代わりに、50年、8000回、41年という長い時間を手に入れています。急ぐと、短いものしか手に入らない——今週見えてきた、一本の線の話です。

— 和の章

新渡戸にとべ稲造いなぞう「われ、太平洋の橋とならん」――あいだに立つ者は、両側から撃たれる

『武士道』は、日本人に向けて書かれた本ではありませんでした。「宗教教育のない日本で、道徳はどう教えるのか」と問われて答えられなかった一人の日本人が、外国人に日本を説明するために、英語で書き上げた本です。相手に渡ってこいと叫ぶのではなく、自分から半分を架けにいく。対話とは、そういうものだと思います。

— 道の章

石田いしだ梅岩ばいがん「先も立ち、我も立つ」――商いに、道を通した男

江戸中期まで、商売に「道」はありませんでした。士農工商の最下層、金を扱う者は卑しい——それが常識だったのです。その常識を、20年以上を現場で勤め上げた一人の番頭がひっくり返しました。「まことの商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり」。近江商人の三方よしも、渋沢栄一の道徳経済合一も、この一言の延長線上にあります。

— 和の章

塙はなわ保己一ほきいち――ヘレン・ケラーが目標にした、7歳で光を失った日本人

7歳で完全に失明し、点字も録音機もない時代に、耳と記憶だけで666冊の叢書を編み上げた江戸の学者がいます。かかった年月は41年。版木は17,244枚。そして、その一枚の枠が、いま私たちが使う原稿用紙の原型になりました。ヘレン・ケラーが幼い頃から目標にしていたのは、この日本人でした。

— 育の章

イチロー「8000回の悔しさ」――4000本の裏側を、彼は誇りに置いた

日米通算4367安打。ギネス世界記録に認定されたその数字を達成したとき、彼が誇りに置いたのは記録のほうではありませんでした。「4000本のヒットを打つには、8000回以上の悔しい思いをしてきているわけです」。打率3割は、裏を返せば10回のうち7回は失敗しているということ。一流とは勝ち続ける人ではなく、負けの量に耐えられる人なのかもしれません。

— 道の章

盛田もりた昭夫あきお「50年の第一歩」――10万台の注文を断って、名前を選んだ

2026年上半期の経常黒字は17兆4292億円で上半期として過去最大。それでも「デジタル赤字」は年6兆円を超え、払う額は稼ぐ額の約2.5倍になっています。日本は貧しくなったのではなく、稼ぎ方の土俵が変わった――。1955年、まだ無名だったソニーは10万台の大商談を断りました。条件が「ブランド名は相手のもの」だったからです。今日の売上か、50年後の名前か。盛田昭夫が選んだものの話です。

— 道の章

宮本みやもと武蔵むさし「常の身」――六十戦無敗の男が、自分の勝ちを疑った

13歳から28〜29歳まで六十余度の勝負に一度も負けなかった男が、三十を過ぎて「あれは兵法を極めて勝ったのではなかった」と自分の勝ちを疑いました。晩年、彼が最も時間をかけたのは戦うことではなく、言葉にすること。『五輪書』に残る「常の身を兵法の身とし」という一行は、本番だけ整えようとする私たちへの、四百年前からの答えです。

— 道の章

5人の賢者――「頑張れ」と言わなかった彼らが、代わりに変えたもの

今週ご紹介した5人を並べてみて、気づいたことがあります。この5人、誰一人「頑張れ」と言っていません。雲門文偃、フェデラー、ヘレン・ケラー、大野耐一、賀川豊彦。分野はまるでバラバラなのに、全員が同じことをしていました。意志や根性のせいにせず、方法のほうを変えたのです。そしてそれは、人を責めない発想でもありました。

— 道の章

大野おおの耐一たいいち「なぜを五回」――同じ問題が、何度も繰り返される理由

同じミスが、また起きた。前にも対策したはずなのに。つい「なぜ学習しないんだろう」と思ってしまいますが、繰り返される原因は人ではなく、対策の浅さにあるのかもしれません。トヨタ生産方式を作り上げた大野耐一が徹底したのは「なぜ」を五回繰り返すこと。そして報告書ではなく、自分の目で現場を見ることでした。

— 和の章

賀川かがわ豊彦とよひこ――生協も共済も、スラムに14年住んだ一人から始まった

生協、農協、労働金庫、共済。私たちが当たり前に使っているこの仕組みは、たった一人の男から始まりました。結核で余命わずかと診断された21歳のとき、当時最悪と言われた神戸のスラム街へ単身で移り住み、そこで14年間暮らした賀川豊彦。彼がたどり着いたのは「施しでは、貧困は解決しない」という結論でした。善意を、続く仕組みに変えるという話です。

— 道の章

ヘレン・ケラー――言葉を得た瞬間、世界が生まれた

うまく、言葉にできない。胸にもやもやがあるのに、それが何なのか説明できない。生後19か月で視力と聴力を失ったヘレン・ケラーは「そこには言葉がなく、意味がなかった」と書きました。1887年4月5日、ポンプ小屋で手のひらに綴られた「w-a-t-e-r」。その日30語、3週間で100語を超えた少女の物語から、言葉にすることの意味を考えます。

— 育の章

ロジャー・フェデラー――一流でも、ポイントの46%は失っている

失敗を、いつまでも引きずってしまう。そんな夜に。テニスの王者フェデラーは1526試合を戦い、勝率はほぼ80%。ところが獲得したポイントの割合は、わずか54%でした。あの王者でさえ、半分近くは失っている。僅差を生んだのは技術ではなく「終わったことは、終わったこと」と切り替える力でした。ラケットを投げていた少年が、最も落ち着いた王者になるまでの話です。

— 育の章

部活を引退した子が、勉強しない――怠けではなく「何をしていいか分からない」だけかもしれません

部活を引退した子が、スマホばかり見ている。昼まで寝ている。つい「怠けている」と思ってしまいますが、本人の中にあるのは「何から始めたらいいか、分からない」かもしれません。引退の日、子どもは習慣・居場所・目標を同じ日に失っています。二宮尊徳の「積小為大」を手がかりに、親が渡せる三つの箱——移植・試す・返す——を書きました。

— 和の章

雲門うんもん文偃ぶんえん「日々是好日」――「今日はダメな日だった」と思う夜に

「今日はダメな日だった」――一日の終わりに、私たちは無意識にその日を採点しています。茶室の掛け軸で有名な「日々是好日」。実はこれ、「毎日楽しく過ごそう」という前向きな標語ではありません。良い日・悪い日と裁いているのは、いつも自分の都合。唐の禅僧・雲門文偃が千年前に示したのは、その採点をやめる、という生き方でした。

— 道の章

5人の賢者――すぐに結果が出ないことに、耐えられますか

始めたことの成果が、なかなか見えない――そんなときに。バフェット、ファーガソン、最澄、大原孫三郎、ユヌス。時代も国も職業も違う5人には、二つの共通点がありました。誰一人すぐの結果を求めなかったこと。そして全員が、自分がいなくなった後も機能する「仕組み」を遺したこと。

— 道の章

大原おおはら孫三郎まごさぶろう――数億円を遊びで溶かした男が、100年後も残るものを遺した

過去の失敗が頭から離れない――そんな人へ。遊びと賭博でいまの価値にして数億円の借金を作り、大学を中退した青年が、26歳で社長になった。その理由は、会社の寄宿舎で社員が亡くなり、父が責任を取って辞めたからだった。だから彼は、工場に病院と学校を作った。100年後も残るものを遺した男の話。

— 和の章

最澄さいちょう「一隅いちぐうを照らす」――「自分は大したことをしていない」と思う日に

自分は大したことをしていない――画面の向こうの華やかな成果と比べて、そう感じる日に。「径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なり」。1200年前、12年間山にこもった青年が遺した言葉。これは「我慢しろ」ではなく、「照らせ」という、極めて能動的な生き方の教えです。

— 育の章

アレックス・ファーガソン――「出て行け」と言われた監督が、26年勝ち続けた理由

一年やっても、二年やっても成果が出ない。周りの視線が痛い――そんな時期を、どう過ごすか。就任から三年間無冠で「さらばファーギー」と横断幕を掲げられた監督が、その後26年半で38個のタイトルを獲った。叩かれていた三年間、彼がしていたのは"十年後への投資"だった。