※本記事にはプロモーション(アフィリエイト広告)を含みます。
何かを学んで、「これは誰かに伝えたい」と思う。
SNSに書いてみようか。ブログを始めようか。会議で意見を言おうか。後輩に教えてみようか。――そう思っても、直前で手が止まる。
「まだ自分は、詳しくない」 「もっと勉強してからにしよう」 「間違ったことを言ったら、恥ずかしい」
そうして、発信のタイミングは、いつまでも先延ばしになっていく。
きっと、多くの人に覚えのある感覚だと思います。
でも――「完璧になってから」では、たいてい一生始まりません。この落とし穴を、2500年も前に見抜いていた人がいました。あの孔子です。
孔子は、なぜ「学びの人」だったのか
孔子は、身分の高い生まれではありませんでした。恵まれない境遇から、独学で学び続け、やがて多くの弟子を持つ大教育者になった人です。
彼が特別だったのは、知識の量ではありません。「学ぶこと」と「人に伝えること」を、ひとつの循環として捉えていたことにあります。
『論語』に、こんな有名な言葉があります。
学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし
学ぶだけで自分の頭で考えなければ、身につかない。かといって、考えるだけで学ばなければ、独りよがりで危うい――。
インプット(学ぶ)と、自分の中での咀嚼(考える)。その両方があって初めて、知識は自分のものになる。そして孔子は、その「考える」の先に、人に伝えることを置きました。
教えることは、最高の学びだった
孔子は、弟子に教えることを通じて、自分自身も学び続けました。
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る
――温故知新。古いことを復習する中から、新しい発見を得る。人に教えようとするとき、私たちは自然と学んだことを整理し直し、思いがけない気づきを得ます。
これは、現代の学習研究でも同じことが言われています。ただ講義を聞くだけ、本を読むだけの学びは、なかなか定着しない。一方で、学んだことを人に教える・伝えるという行為が、最も深く記憶に残る――そう紹介されることがあります(定着率の数字には諸説ありますが、「教えることがいちばん身につく」という方向は、多くの人が経験的にうなずけるはずです)。
つまり、発信は「アウトプット」であると同時に、最高の「インプット」でもある。
発信が苦手だと感じている人にこそ、知ってほしい事実です。発信することは、誰かのためであると同時に、何より自分自身の学びを、いちばん深める行為なのです。
「知らない」と言える人が、いちばん賢い
では、発信するとき、どんな姿勢でいればいいのか。孔子は、ここでも鋭い言葉を遺しています。
知るを知ると為(な)し、知らざるを知らずと為す。是(こ)れ知るなり
知っていることは知っているとし、知らないことは正直に「知らない」と言う。それこそが、本当の「知る」ということだ――。
発信を恐れる人の多くは、「完璧に知っていないと、発信してはいけない」と思い込んでいます。けれど孔子は、まったく逆を説きました。知らないことを「知らない」と正直に言えることこそ、知性なのだと。
完璧である必要は、どこにもない。「これは私の経験から感じたことです」「ここはまだ、よく分かりません」――そう正直に発信すればいい。その誠実さこそが、聞く人の信頼を生みます。
完璧な発信より、正直な発信のほうが、ずっと人の心に届くのです。
(「知らない」と正直に認める強さは、西洋の哲学者ソクラテスにも通じます。あわせてどうぞ→ 「井の中の蛙、大海を知らず」――ソクラテスに学ぶ、視野を広げる第一歩)
今を生きる私たちへ
孔子の教えは、私たちの「発信」に、そのまま生かせます。
たとえば、こんなふうに。
「詳しくないから」と発信をためらってしまう。 でも、伝えようとするその過程こそが、いちばんの学びになる。完璧を待つより、学びながら発信するほうが、結果的にずっと早く成長できます。
大勢に向けて発信しようとして、気後れする。 それなら、まず「目の前の一人」に伝えればいい。友人一人、後輩一人。一人に伝われば、それはもう立派な発信です。大きく構える必要はありません。
知識だけを、正確に伝えようとして疲れてしまう。 そこに「自分はこう感じた」という経験をひと言添えるだけで、それはあなたにしか書けない発信になります。知識は誰でも調べられますが、あなたの経験は、あなただけのものです。
間違いを恐れて、口をつぐんでしまう。 「ここは分からない」と正直に言える人のほうが、むしろ信頼される。完璧を演じる人より、正直な人のまわりに、人は集まります。
学ぶ、考える、伝える。この循環を回し続けるほど、自分も、周りの人も、少しずつ豊かになっていく。それが孔子の描いた、学びの姿でした。
おわりに
『論語』は、こんな一文から始まります。
学びて時に之(これ)を習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや
学んで、それを折にふれて実践する。なんと喜ばしいことか――。
もし孔子が「完璧になるまで」と、伝えることを控えていたら。『論語』は、この世に生まれませんでした。彼が学んだことを惜しみなく発信し続けたからこそ、その言葉は2500年を生き延びたのです。
発信は、怖いものではありません。本来は、喜びです。
学んだことを、誰かにそっと伝えてみる。その小さな一歩から、あなたの学びの循環は回り始めます。
この学びの源へ ―― 『論語』
ここで紹介した言葉は、すべて孔子と弟子たちの対話の記録『論語』に収められています。
現代語訳の読みやすい一冊を手元に置くと、「学ぶ」「考える」「伝える」のヒントが、驚くほど身近な言葉で見つかります。
また、この『論語』を生涯の指針とし、日本の実業界を築いた渋沢栄一の一冊もおすすめです。ビジネスや人づくりの視点から『論語』を読み解く入門書として知られています。
