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始めたことが、なかなか結果につながらない。
一年やっても、二年やっても、目に見える成果が出ない。周りからは「まだなの?」という視線を感じる。自分でも「やり方が間違っているのではないか」と不安になってくる。
そんなとき、私たちは方針を変えたくなります。もっと手っ取り早い方法はないか、と。
けれど――就任から三年間、ひとつのタイトルも獲れなかった監督がいます。
スタジアムには、こんな横断幕が掲げられました。
「3年間の言い訳、それでもこのザマか。さらばファーギー」
1989年12月、ホームでの敗戦の後のことです。解任されても、おかしくありませんでした。
その男が、その後26年半にわたってクラブを率い、38個のタイトルを獲得します。
アレックス・ファーガソン。マンチェスター・ユナイテッドを黄金期へ導いた、伝説の監督です。
造船所の労働者の息子
アレックス・ファーガソンは1941年、スコットランド・グラスゴーの労働者階級の家庭に生まれました。
父は造船所で働く労働者。決して裕福な環境ではありません。
若い頃は、彼自身も工場で働きながら、サッカー選手を目指しました。選手としてはそれなりの成績を残しましたが、超一流とは言えませんでした。
そして32歳で現役を引退し、指導者の道へ進みます。
最初に率いたのは、スコットランドの小さなクラブでした。そこから実績を積み、アバディーンというクラブで、当時この国を二分していた二大クラブの牙城を崩します。さらにヨーロッパの大会では、あのレアル・マドリードを破って優勝するという快挙まで成し遂げました。
その手腕が認められ、1986年11月、44歳でマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任しました。
けれど、そこから待っていたのは、苦難の日々でした。
三年間、無冠
当時のマンチェスター・ユナイテッドは、低迷していました。かつての名門も、19年もリーグ優勝から遠ざかっていたのです。
ファーガソンは改革に着手します。けれど、結果はすぐには出ませんでした。
一年目、二年目、三年目。タイトルは獲れない。
冒頭の横断幕が掲げられたのは、その三年目の冬でした。
多くのクラブなら、間違いなく解任されていたでしょう。
けれど――この時期に、ファーガソンがやっていたことがあります。
若手育成組織の、作り直しでした。
彼は、目先の勝利のために大金を使って選手を買うのではなく、クラブの下部組織を徹底的に立て直したのです。スカウト網を広げ、有望な少年を発掘し、クラブの哲学を叩き込む。
後年、彼はハーバード・ビジネス・スクールの教材の中で、当時をこう振り返っています。
「新しく就任した監督の99パーセントが最初に考えるのは、勝つこと――生き残ることだ。私はそうではなかった。私はクラブを"作り"たかった。土台から作りたかった」
目の前の一勝ではなく、十年後のクラブ。彼が見ていたのは、そちらでした。
そして、その投資は実を結びます。
就任四年目の春、ようやく最初のタイトルを手にしました。皮肉なことに、決勝で破った相手は、あの横断幕が掲げられた日にホームで負けた、クリスタル・パレスでした。
さらに数年後、彼が種をまいた下部組織から、こんな名前が現れます。
デイビッド・ベッカム、ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、ゲイリー・ネビル。
後に「ファーギーの雛たち」と呼ばれる世代が、クラブの黄金期を築き上げたのです。
「どんな選手も、クラブより大きくはない」
ファーガソンの哲学を最もよく表す言葉が、これです。
「No player is bigger than the club」(どんな選手も、クラブより大きくはない)
このクラブに古くから受け継がれてきた信条であり、ファーガソン自身が繰り返し口にした言葉でもあります。
彼は、どれほどのスター選手であっても、チームの規律を乱す者は、容赦なく手放しました。
当時の看板選手であっても、自らの哲学に反すると判断すれば、迷わず決断した。
非情に見えるかもしれません。けれど、彼には明確な信念がありました。
一人の例外を認めれば、規律は崩壊する。
チームには、全員が守るべきルールがあります。それを誰か一人でも破ることを許せば、他の人間も従わなくなる。だから彼は、どんなに優れた選手にも、例外を作らなかった。
そして興味深いことに――この厳しさが、逆に選手たちの信頼を生みました。
「監督は誰にでも公平だ」。その認識が、チームの結束を強めたのです。
勝ち続ける組織は、スター選手の力ではなく、全員が同じものを大切にする「文化」で強くなる。バスケットボールの名将レッド・アワーバックが築いたチームも、同じ場所を向いていました。(レッド・アワーバックの記事はこちら)
成功しているときに、次を作る
ファーガソンが26年も勝ち続けられた、最大の理由。
それは、チームが成功しているときこそ、次の世代の準備を始めたことでした。
多くの監督は、チームが崩れてから作り直そうとする。しかし、それでは遅い。頂点にいるときにこそ、次を作り始めなければならない。
実際ファーガソンは、在任中に四度にわたってチームを丸ごと作り直したと言われます。優勝した直後に、主力を入れ替えることさえありました。
順調なときほど、人は現状を守りたくなります。うまくいっているのだから、変える必要はない、と。
けれど彼は、成功に安住しませんでした。常に次を見据えていた。この執念こそが、26年という長期政権を可能にしたのです。
そしてもう一つ、彼が徹底したことがあります。それは選手を「駒」ではなく、一人の人間として扱うことでした。
コンディションだけでなく、私生活や家族の状況まで把握する。若手選手の親とも直接会い、関係を築く。困っていれば助け、間違えれば叱る。
厳格さの裏には、深い関与があったのです。
技を教えるだけで終わらせず、人としてどう育つかまで引き受ける。日本の柔道の父・嘉納治五郎が「術」を「道」にしたのも、同じ願いからでした。(嘉納治五郎の記事はこちら)
今を生きる私たちへ
ファーガソンの姿勢は、サッカーの世界だけのものではありません。
すぐに実らない投資を、続ける。 無冠だった三年間、彼がやっていたのは若手育成という"十年後への投資"でした。目に見える成果がない時期にこそ、本当に大切なものを仕込めるかどうかで、その後が決まります。
「例外」を作らない。 誰か一人を特別扱いした瞬間、ルールは形だけのものになります。公平であることは、時に厳しく見えますが、実はいちばん信頼を生みます。
うまくいっているときに、次を準備する。 崩れてから動くのでは遅い。順調なときほど、次の一手を考える。これは仕事でも、家庭でも、地域の活動でも同じです。
相手を「駒」ではなく「人」として見る。 数字や成果だけでなく、その人の状況や事情に関心を持つ。厳しさと深い関与は、両立します。
おわりに
ファーガソンは2013年、71歳で退任しました。最後のシーズンも、リーグ優勝を果たしての花道でした。
引退後はハーバード・ビジネス・スクールで教壇に立ち、その組織マネジメント論はビジネス界からも高く評価されています。
そんな彼が、若い選手を育てるうえで何より大切だと語ったもの。それは――忍耐でした。
厳格さで知られた名将が挙げたのが「忍耐」だったこと。私には、それがとても腑に落ちます。
すぐに結果が出なくても、信じて待つ。育つのを支える。
思えば、バスケットボールの名将ジョン・ウッデンも、最初の全米制覇まで15年以上を要しました。(ジョン・ウッデンの記事はこちら)人を育てて頂点に立つ人は、たいてい、最初に長い"耐える時期"を過ごしています。
何かを育てるとき、私たちはつい、すぐに結果を求めてしまいます。
けれど――本当に価値のあるものは、たいてい、十年かけて実を結ぶのです。
今日やっていることの成果は、まだ見えないかもしれません。
それでも、いつか「あのときの三年間があったから」と言える日が来る。
ファーガソンの26年半は、そう教えてくれています。
この名将を、もっと知りたい方へ
ファーガソン本人の自伝やマネジメント論も日本語で出ていますが、いまは新刊での入手が難しく、古書店に頼ることになります。状態も価格もまちまちなので、ここでご案内するのは控えます。
代わりに、いま新刊で読める一冊をご紹介します。日本のサッカージャーナリストが、ファーガソンの組織マネジメント術と仕事術、そして「心がまえ」を解き明かした本です。
※ファーガソン本人の著書ではありません。また、退任の前年(2012年)に書かれたため、最後のシーズンまでは含まれていません。
『ファーガソンの薫陶 勝利をもぎ取るための名将の心がまえ』(幻冬舎・田邊雅之)
※楽天では現在、電子版(楽天Kobo)での取り扱いです。
「3年間の言い訳」と書かれた男が、なぜ26年半も勝ち続けられたのか。それを知った今なら、彼の心がまえが、より深く胸に届くはずです。
人物プロフィール:アレックス・ファーガソン
経歴・功績
ひとことで:就任からの三年間を無冠で耐え、「出て行け」と批判されながらも十年後を見据えた若手育成を貫き、26年半にわたってクラブを勝たせ続けた、人を育てる名将。
