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本日は、今週ご紹介した5人を、少し引いたところから眺めなおす回です。
経営者、野球選手、江戸の国学者、江戸の思想家、明治の国際人。時代も国も職業も、ばらばらの5人でした。
ところが書き終えて並べてみたら、全員が同じことをしていたのです。
さて、何をしていたのでしょうか。
月曜|盛田昭夫――10万台を断った
1955年、ソニーはブローバ社から10万台の大商談を持ちかけられました。ただし条件は「ブランド名は相手のもの」。会社が変わるほどの金額です。それでも盛田は断り、こう言い切りました。
我々は将来のために、いまや50年の第一歩を踏み出すのだ
手放したもの——目の前の10万台。選んだもの——50年後の名前。詳しくは盛田昭夫「50年の第一歩」をどうぞ。
火曜|イチロー――勝率という物差しを捨てた
日米通算4367安打。その4000本目の会見で、彼が誇りに思うと語ったのは、数字ではありませんでした。
4000本のヒットを打つには、8000回以上の悔しい思いをしてきているわけです。それと常に向き合ってきたことの事実はあるので、それを誇りに思います
打率3割とは、7割の失敗のことです。手放したもの——勝率で自分を測る楽さ。選んだもの——8000回と向き合う日々。詳しくはイチロー「8000回の悔しさ」をどうぞ。
水曜|塙保己一――目先の生業を手放した
7歳で失明し、按摩も鍼も上達せず、一度は死を考えるところまで追い詰められた人。彼に残されていたのは、記憶力ただ一つでした。
その一点に41年を注ぎ、『群書類従』666冊を完成させます。講義中にろうそくが消え、弟子たちが慌てたときの一言が残っています。
目が見えるということは、不自由なものだ
手放したもの——目先の生業と、被害者の位置。選んだもの——41年かかる仕事。詳しくは塙保己一――ヘレン・ケラーが目標にした日本人をどうぞ。
木曜|石田梅岩――講義料を取らなかった
商売が卑しいとされた時代に、たった一人で商人の道を立てた人。45歳から始めた講義は、聴講料無料・出入り自由。費用はすべて自腹でした。聴きに来たのが一人だけの夜、恐縮して帰ろうとするその人に、梅岩はこう言ったと伝えられます。
私は誰もいない時は、机に向かって話している。あなたがいれば十分です
手放したもの——講義で得られたはずの収入。選んだもの——身分を問わず開かれた場。詳しくは石田梅岩「先も立ち、我も立つ」をどうぞ。
金曜|新渡戸稲造――どちらかの側に立つ安全を捨てた
「われ、太平洋の橋とならん」。『武士道』を英語で書き、国際連盟ではどちらか一方が勝つ形にしない調停をつくった人。しかし晩年は、日米双方から「向こう側の人間だ」と疑われました。
手放したもの——どちらかの側に立つ安全。選んだもの——両側から撃たれる場所。詳しくは新渡戸稲造「われ、太平洋の橋とならん」をどうぞ。
5人を貫く一本の線
並べてみると、はっきりします。
盛田は10万台を、イチローは勝率という物差しを、保己一は目先の生業を、梅岩は講義料を、新渡戸は安全な立場を——
全員が、今すぐの得を手放している。
そして全員が、手放した代わりに、長い時間を手に入れています。50年、8000回、41年、身分を問わない場、100年もつ合意。
ここに、今週の答えがあると思うのです。
急ぐと、短いものしか手に入らない。手放すと、長いものが手に入る。
もちろん、いつでも手放せるわけではありません。生活があります。今月の数字もあります。
ただ——週に一度くらいは、「いま自分は、何を急いでいるか」を点検してもいいのではないでしょうか。
今週の問いを、三つ置いておきます。
①今週、いちばん急いでしまった判断は何だったでしょうか。
②その判断で、何を手放したでしょうか。
③来週、あえて手放してみるものを一つ選ぶなら、何でしょうか。
今週の5冊
今週の記事でご紹介した本を、まとめて置いておきます。
『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(日経プレミアシリーズ・唐鎌大輔) 盛田の回で。デジタル赤字を数字でたどる一冊です。
『イチロー・インタビューズ 完全版』(文春文庫・石田雄太) 「8000回」も「準備とは言い訳の材料を排除していく作業」も、語られた文脈ごと読めます。
『改訂版 素顔の塙保己一 盲目の学者を支えた女性たち』(埼玉新聞社・堺正一) 偉人としてではなく、支えた人たちの側から保己一を描いた一冊。
『都鄙問答』(中公文庫・石田梅岩/加藤周一) 「まことの商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり」の原典です。
『武士道』(岩波文庫・新渡戸稲造/矢内原忠雄 訳) 外国人に日本を説明するために英語で書かれた本を、日本語で。
