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リーダーという役割を、少しでも経験したことがある人なら、こう感じたことがあるかもしれません。
いちばん早く動いて、いちばん心配して、いちばん責任を負う。それなのに、うまくいって当たり前、失敗すれば真っ先に責められる。
「なんだか、割に合わないな」と。
チームのまとめ役、部活のキャプテン、地域の世話役、プロジェクトのリーダー。呼び名は違っても、その"報われなさ"は、どこか似ています。
でも――もし、その「割に合わなさ」こそが、リーダーの誇りなのだとしたら、どうでしょう。
今からおよそ1000年前の中国に、この問いへの、あまりにも美しい答えを遺した人がいます。范仲淹(はんちゅうえん)です。
たった四文字に込められた、リーダーの覚悟
范仲淹は、中国・北宋時代の政治家であり、文人でもありました。
彼が遺した「岳陽楼記(がくようろうき)」という名文の中に、時代と国を超えて語り継がれる、有名な一節があります。
「先憂後楽(せんゆうこうらく)」
もとの言葉は、こうです。
「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」
世の中の人々が心配するより先に心配し、世の中の人々が楽しんだ後で、最後に自分が楽しむ――。
つまり、リーダーとは、みんなより先に問題を憂い、みんなが幸せになった後に、いちばん最後に幸せを味わう存在だ、ということです。
ちなみに、日本庭園の「後楽園」という名前も、この言葉に由来していると言われています。それほどまでに、この四文字は東アジアに深く根を下ろしてきました。
「先憂」――みんなが気づく前に、心配する
「先憂」とは、みんなより先に、問題を心配し、備えることです。
優れたリーダーは、問題が起きてから慌てて動くのではありません。問題が起きる前に、その小さな兆候を察知して、静かに手を打っています。
たとえば、大きなイベント。何万人もの人が、安全に、楽しく過ごせているその裏側では、膨大な「先憂」が働いています。
安全対策は十分か。天候が崩れたらどうするか。トラブルが起きたら、どう動くか――。
参加者が「楽しい!」と笑っているまさにその瞬間、リーダーは「何か問題はないか」と、ずっと気を張っている。
みんなが楽しんでいる裏で、誰かが心配し、備えている。その「誰か」こそが、リーダーなのです。
范仲淹は、この「先憂」を、リーダーの責任であると同時に、誇りでもあると説きました。
「後楽」――喜びは、いちばん最後でいい
「後楽」とは、みんなが楽しんだ後に、最後に自分が楽しむことです。
これは、リーダーの「無私(むし)」の精神を表しています。
成果が出たとき、人は真っ先に「自分がやった」と称賛を浴びたくなるものです。けれど、本物のリーダーは違います。
まず、メンバーの功績を称える。「これは、みんなのおかげだ」と伝える。そして自分は一歩下がり、最後に静かに、喜びを味わう。
イベントが成功したとき。真っ先に自分の手柄を誇るのではなく、支えてくれた一人ひとりに感謝し、その労をねぎらう。みんなの笑顔を見て、最後に静かに「やってよかった」と思う。
それが「後楽」です。
そして、この姿勢こそが、メンバーの信頼を生みます。「このリーダーは、いつも自分たちのことを先に考えてくれる」。そう感じた人は、心からリーダーについていくのです。
(「自分の手柄より、メンバーを称える」――この姿勢は、「一度勝つ」と「勝ち続ける」は、まるで違う――アワーバックに学ぶ、強い組織のつくり方で書いた、名将の組織づくりとも重なります。)
「先憂後楽」を、生き方で体現した人
范仲淹がすごいのは、この言葉を、文章の中だけで終わらせなかったことです。
彼は、貧しい家に生まれ、苦学の末に政治家になりました。若い頃は、粥を冷やして固め、それを分けて食べるほどの貧しさだったと伝えられています。
そして、権力の座についても、決して私腹を肥やしませんでした。それどころか、自分の俸給を使って、一族や貧しい人々を助ける「義荘(ぎそう)」という仕組みを作ったのです。
得た豊かさを、自分のためではなく、周りのために使う。まさに「先憂後楽」を、生き方そのもので体現した人でした。
言葉と生き方が、一致している。だからこそ彼の四文字は、1000年を超えて、今も人の心を打つのです。
(得たものを自分のためでなく周りのために使う――この生き方は、「小さな努力なんて無駄」と思ったとき――二宮尊徳が遺した『積小為大』の力で書いた、尊徳の「推譲」の精神と、国も時代も超えて響き合います。)
今を生きる私たちへ
「先憂後楽」は、大きな組織のトップだけの話ではありません。何かのまとめ役を担う、すべての人に効きます。
問題は、起きてからではなく、起きる前に気を配る。 「何か見落としはないか」と一歩先を憂う習慣が、大きなトラブルを未然に防ぎます。準備している人の苦労は目立ちませんが、その地味な先憂こそが、みんなの安心を支えています。
成果が出たら、まず人を称える。 「自分がやった」と言いたくなる気持ちを、ぐっとこらえる。手柄を人に譲れるリーダーのところに、人は集まります。
喜びを、最後に取っておく。 いちばん最後に味わう喜びは、いちばん深い。みんなの笑顔を見届けてから味わう「やってよかった」は、真っ先に浴びる称賛より、ずっと長く心に残ります。
そして、覚えておきたいことが一つ。リーダーの"報われなさ"は、損ではありません。誰よりも多くを背負える人だけが、誰よりも深い喜びを最後に受け取れる。それが「先憂後楽」の、本当の意味なのだと思います。
おわりに
リーダーとは、特権を持つ人ではありません。
誰よりも多くを背負い、誰よりも先に憂い、そして――誰よりも後に、報われる人です。
その覚悟を持てる人だけが、本当の意味で人を率いることができる。范仲淹は、1000年前に、それを言葉と生き方の両方で示してくれました。
みんなより先に、憂う。みんなの後に、楽しむ。
大変な役回りです。けれど、その大変さの中にこそ、リーダーだけが味わえる、静かで深い誇りと喜びがあります。
今日、あなたが誰かのために先に憂うとき。それは決して、割に合わない損な役回りではありません。
いちばん最後に、いちばん深い喜びが待っている――そう思えたら、その一日は、少し違って見えてくるはずです。
(范仲淹の生き方を、他の4賢者との"共通点"から振り返るまとめ記事歴史に名を残す人と、忘れられる人の違いは、たった一つだったも書きました。)
(誰より先に自分の街を憂い、一人で立ち上がった住民が現代にもいます。一人の住民が、巨大な計画を止めた――ジェイン・ジェイコブズ「通りの目」の話も、あわせてどうぞ。)
この言葉を、もっと深く知りたい方へ
「先憂後楽」が生まれた「岳陽楼記」は、中国古典の中でも屈指の名文として知られています。わずかな長さの文章の中に、雄大な景色と、リーダーの覚悟が凝縮されています。
ただ、正直にお伝えしておきたいことがあります。范仲淹その人の言葉を、現代語訳とやさしい解説で読める入門書は、今、新刊ではほとんど手に入りません。「岳陽楼記」の全文が読めるのは『古文真宝(こぶんしんぽう)』などの漢文の専門書に限られ、はじめの一冊としては、価格も内容もかなり重いものです。古書店を探せば見つかることもありますが、状態も価格もまちまちなので、ここでご案内するのは控えておきます。
けれど、范仲淹が投げかけた「上に立つ者は、どうあるべきか」という問いそのものは、中国古典が千年以上かけて考え抜いてきたテーマです。その系譜に触れられる一冊を挙げるなら、これになります。
守屋洋『「帝王学」講義 中国古典に学ぶリーダーの条件』(プレジデント社) 『貞観政要』『書経』『韓非子』という帝王学の古典から、リーダーの条件(智・勇・仁・信・謙・寛・義)を読み解いた一冊。本書に「岳陽楼記」は収録されていませんが、范仲淹と同じ「人の上に立つ者の心得」を、別の角度から深く掘り下げられます。
▶ 楽天Koboで見る(電子版) ※現在、こちらは電子版のみの取り扱いです。
人物プロフィール:范仲淹
氏名:范仲淹(はん ちゅうえん)/字は希文(きぶん) 生没年:989年 ― 1052年(中国・北宋時代) 分野:政治家・軍人・文人
経歴・功績
ひとことで:「リーダーとは、みんなより先に憂い、みんなの後に楽しむ者だ」という理想を、言葉としてだけでなく、清貧の生き方そのもので体現した、北宋の名政治家。
参考:ウィキペディア「范仲淹」
