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日本で最も多くの安打を打った人の右手には、薬指と小指が、ほとんどありませんでした。
その人が、もういません。
今日は、私がテレビの前でずっと見てきた一人の打者について書きます。
この写真は、2024年5月28日のものです。
東京ドームのマウンドに立ち、始球式のボールを投げる姿。
なぜこの日だったのか。
44年前のこの日、1980年5月28日に、彼は日本のプロ野球で初めて通算3000本目の安打を打っています。
同じ日付に、同じ場所へ。
そういう人でした。
張本勲さんは、1940年6月19日、広島市に生まれました。
4歳のとき、焼き芋を焼こうとして右手に大火傷を負います。
薬指と小指を、ほぼ失いました。
これは原爆によるものではありません。その前年の、家庭での事故です。
そして1945年8月6日。
5歳だった彼は、爆心地から約2kmの段原新町で被爆します。
12歳の姉を、亡くしました。
右手が不自由になり、姉を失い、住んでいたのはトタン屋根の長屋。
野球を始めた動機は、きれいなものではありませんでした。
「トタン屋根の長屋から抜け出すには、これしかない」
そして、もう一つ。
母親に、広い家をプレゼントする。
兄が毎月、給料の半分を送って進学を支えてくれたといいます。
家族のために、バットを握った。
——ここが、私が張本さんを好きになった理由の一つです。
志が高いから続いたのではない。生活のためだったから、続いた。
東映フライヤーズに入団したのが1959年。
日拓、日本ハムと移り、1976年から読売ジャイアンツ、1980年からロッテオリオンズ。
首位打者7回。
そして通算3085安打。
この数字は、いまも日本記録です。
ここで、一度立ち止まりたいと思います。
バットは、両手で握るものです。
指が足りない右手で、プロの投手の球を打ち続けた。
しかも22年以上にわたって。
技術の話ではないと思うのです。
たぶん、「この手では無理だ」と考える時間を、彼は持たなかった。
配られた手札を数え直すより、先に振った人なのだと思います。
私が見たテレビ番組で、落合博満さんがこんな話をしていました。
張本さんは、飲みに行った後でも、寝る前にバットを振っていた、と。
——この話が、ずっと忘れられません。
3085安打という数字は、記録です。誰でも見られます。
しかし、酒を飲んで帰ってきた夜に、誰も見ていない部屋でバットを振る。
こちらは、記録に残りません。
陰で努力してきた人は素敵だと思う。
私は本当に、そう思います。
現役を退いてからの張本さんを、私はもっと長く見てきました。
日曜朝のスポーツコーナー。「週刊御意見番」です。
2000年頃から、2021年11月28日の放送まで。
「喝!」と「あっぱれ!」。
サンデーモーニングを録画して、仕事で忙しい中でも張本さんのスポーツコーナーだけは欠かさず見ていました。
喝とあっぱれを見ると、スッキリした。
もちろん、彼の発言が議論を呼ぶこともありました。
賛否は、あったと思います。
それでも私は、芯が通っていて、己の意見をはっきり気持ちを込めて伝える姿——
そんなまっすぐな張本さんが大好きでした。
いまの時代、はっきり言い切る人は減りました。
角が立たない言い方、誰も傷つけない言い方が上手な人は増えました。
でも、そういう言葉は、あまり残らないのです。
張本さんの「喝!」は、残りました。
2026年9月9日。
東京都大田区で、運転中に体調を崩されたと伝えられています。
そのまま、同じ日に亡くなりました。86歳でした。
死因は公表されていません。
本当に惜しい人がいなくなった。
これもまた、時代の流れなのか。
日曜の朝に、あの声がもう入ってこない。それだけのことなのですが、それだけのことが、こたえます。
今を生きる私たちへ
1つめ。不利な手でも、振り続けること。
私たちは、始める前に理由を探します。時間がない。歳を取った。向いていない。
指が二本足りない手で日本記録を打った人がいます。
条件が整ってから始める人は、たいてい始まりません。
2つめ。誰のためにやるかを、はっきりさせること。
張本さんの動機は、母親に広い家を建てることでした。
抽象的な夢ではありません。顔のある、たった一人のためでした。
自分のためだけの目標は、しんどい日に折れます。
誰かの顔が浮かぶ目標は、折れにくい。
3つめ。人が見ていないところで振ること。
飲んで帰った夜の素振りは、誰の記録にも残りません。
しかし、そこでしか差はつかない。
見られている場所での努力は、実は誰でもできます。
4つめ。芯を通して、意見を言うこと。
嫌われない言い方を覚えるほど、言葉は軽くなります。
もちろん、人を傷つける必要はありません。
ただ、自分がどう思っているかをはっきり言えるかどうか。
そこは、譲らなくていいのだと思います。
おわりに
私は張本さんに会ったことがありません。
テレビの前にいただけの人間です。
それでも、日曜の朝に画面の向こうから「喝!」と言われるたびに、背筋が伸びる思いがしていました。
不利な手を配られて、それでも振り続けた人。
誰も見ていない夜に、バットを振っていた人。
言いたいことを、はっきり言った人。
尊敬する人生の先輩でした。
ゆっくりお休みください。
そして、ありがとうございました。
この生き方を、もっと深く
張本勲という人を、もう少し近くで知りたい方へ。
『最後の喝! これだけは言っておきたい』(ベースボール・マガジン社・張本勲) テレビで「喝」を出し続けた人が、最後にまとめた一冊。
『張本勲 もう一つの人生 ── 被爆者として、人として』(新日本出版社・張本勲) 5歳で被爆し、姉を亡くした人が、その時間について書いた本。
『闘魂のバット ── 3000本安打への道』(ベースボール・マガジン社・張本勲) 日本初の3000本に至る道を、本人がふり返った一冊。
人物プロフィール:張本勲(はりもと・いさお)
1940年6月19日、広島市生まれ。2026年9月9日没、86歳。
4歳のとき、焼き芋を焼こうとした事故で右手に大火傷を負い、薬指と小指をほぼ失う。1945年8月6日、爆心地から約2kmの広島市段原新町で被爆。12歳の姉を亡くす。
1959年、東映フライヤーズ入団。日拓、日本ハムを経て、1976年から読売ジャイアンツ、1980年からロッテオリオンズ。
首位打者7回。1980年5月28日、日本プロ野球史上初の通算3000本安打を達成。通算3085安打は日本記録。
引退後は野球解説者として、TBS系「サンデーモーニング」の「週刊御意見番」に出演。2021年11月28日放送をもって降板。「喝!」「あっぱれ!」で親しまれた。
2024年5月28日、東京ドームで始球式に登板。
張本勲が生まれ育った街












