
本日は、偉人ではなく、私の畑の話です。
去年、まったく実がならなかった作物があります。今年は同じ場所で、同じ種類を育てました。
結果から言うと、実りました。ただ、手放しで喜べる出来ではありませんでした。
さて、何が違ったのでしょうか。
去年は、膝の高さで止まった
去年のトウモロコシは、背丈が膝くらいまでしか伸びませんでした。
トウモロコシの実は、一本もつきませんでした。小さかったのではなく、そもそも実らなかった。
水はやっていました。日当たりも悪くない。種も店で買ったものです。
それでも、育たなかった。
こういうとき、まず疑いたくなるのは種のほうです。品種が合わなかったのかな、と。
原因は、土の深さだった
答えを教えてくれたのは、YouTubeでした。
トウモロコシは、根が下へ下へと伸びる作物なのだそうです。深いところまで根が張れて、はじめて上に伸びる力が出る。
つまり、私は上ばかり見ていたことになります。
背が伸びない、実がつかない——目に見えている部分をどうにかしようとしていました。
けれど、原因は見えないところにありました。土が浅かった。根が、下に行けなかったのです。
50センチ、掘り直す
そこで今年は、まず土から作り直すことにしました。
50センチ以上、深く掘り返す。これが思った以上の重労働でした。
掘って、苦土石灰と牛ふんを入れる。
種をまいたのは、そのあとです。

トウモロコシの種は、こんな色をしています。はじめて見たときは驚きました。
この時点では、去年と何も変わって見えません。同じ畑、同じ種。変えたのは、目に見えない土のほうだけです。
伸びた
芽が出て、葉が開いて、背が伸びていきました。

去年は膝で止まった背丈が、今年は自分の胸の高さを越えていきます。
そして、実がつきました。
葉のあいだから、ひげが出ているのが見えたときは、正直うれしかったです。
甘かった。でも、小さかった

採れたてを、その場で生のまま食べました。
めちゃくちゃ甘かったです。
お店で買うトウモロコシとは、別の食べ物みたいな味がしました。ここは、素直に感動しました。
ただ、正直に書きます。
穫れた実は、小さかった。
去年ゼロだったことを思えば大きな前進です。でも、握ってみて「これはもっと大きくなるはずだ」と思いました。
土の深さは足りるようになった。けれど、まだ何かが足りていない。
来年はもっと深く掘るのか、それとも掘る以外にやるべきことがあるのか。そこはまだ、分かっていません。もう少し勉強します。
二宮尊徳の「積小為大」を、土の中で思い出した
掘りながら、思い出していた言葉があります。
小を積みて大と為す
二宮尊徳の「積小為大」です。小さいことを積み重ねることでしか、大きなことは為せない、という意味の言葉です。
尊徳は、荒れた村を立て直した人でした。彼がやったのも、結局は土の話です。
派手な改革から入らない。まず田畑の状態を調べて、荒れた土を戻すところから始める。
(尊徳が荒れた村をどう立て直したかは、二宮尊徳「積小為大」――小さな努力は、無駄ではないの回で書いています。)
私はこれまで、この言葉を「コツコツ続けよう」という意味で読んでいました。
でも今年、スコップを持って気づきました。
積み重ねるのは、目に見えるもののほうじゃない。
背丈でも、実の数でもなく、その下にある土のほうを積む。そちらが変わらないかぎり、上は変わらない。
今を生きる私たちへ
これは、畑だけの話ではないと思います。
結果が出ないとき、私たちはたいてい、目に見えるところを直そうとします。
やり方が悪いのかな。もっと時間をかけようかな。道具を変えようかな。
でも、変えるべきは土のほうかもしれません。
体調とか、睡眠とか、人間関係とか、練習の前提そのものとか。
私の場合、それが「50センチ」でした。掘ってみるまで、自分の畑がそんなに浅いとは思っていませんでした。
そしてもう一つ。
土を直したからといって、いきなり完璧な実がなるわけでもありませんでした。
それでも、去年はゼロだったのです。ゼロが1になったなら、次は1を2にすればいい。
——あなたが「うまくいかない」と思っていることの、土にあたる部分は何でしょうか。
この畝は、来年も同じ場所にあります。同じ角度から、また撮るつもりです。
次に土を掘るとき、私が何を足すのか。そのときにまた、ここに書きます。

