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本日ご紹介するのは、会社にとっていちばん大事な資本は「カネではなく人だ」と言い切った経営者です。
名前を知らなくても、通勤路のガソリンスタンドに、この人がつくった会社の看板が立っているかもしれません。
さて、どんな人だったのでしょうか。
人が足りない。募集をかけても、来ない。
いま、日本の会社が潰れる理由が変わってきています。かつて倒産といえば、売れない、資金が回らない、でした。いまは違います。人がいなくて、潰れる。
2025年の「人手不足倒産」は427件。前年の342件から24.9%増えて、3年連続で過去最多を更新しました。年間400件を超えたのは、これが初めてです。(帝国データバンク調べ)
業種別でいちばん多いのが建設業で113件。ここが100件を超えたのも、初めてのことでした。そして全体の77.0%——329件が、従業員10人未満の小さな会社です。
受注はある。仕事もある。ただ、それをやる人がいない。
人を採る競争は、もう限界に近いところまで来ています。だとすれば、残る打ち手は一つしかありません。
いま一緒にいる人が、辞めない場所にすること。
80年前、日本でいちばん苦しい状況で、この問いに答えを出した人がいます。
仕事はゼロ、残ったのは借金と、1000人の社員
出光佐三(いでみつ・さぞう)。1885年に生まれ、1981年に亡くなりました(95歳没)。出光興産の創業者です。
福岡県宗像の生まれ。神戸高等商業学校を出て、1911年、門司で出光商会を創業しました。
彼の名を決定づけたのは、1945年8月——終戦の直後です。
このとき出光は、事実上の壊滅状態でした。海外の店舗も資産もすべて失い、残ったのは莫大な借金だけ。仕事は、文字どおりゼロ。
そして社員は約1,000人。そのうえ、外地から社員が続々と引き揚げてきます。
重役たちが、当然の建言をしました。人員整理をすべきだ、と。会社を残すためです。経営判断としては、正しい。
しかし出光は、これを一喝します。
馘首はならぬ、仕事をつくれ
「君たち、店員をなんと思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか」
さらに、こう続けたと伝わります。安易に仲間を切って、残った者だけで生き延びようとするのは卑怯者の選ぶ道だ。みんなで精一杯やって、それでも食えなくなったら、みんな一緒に乞食になろうじゃないか、と。
仕事が無いのに、一人も切らないと先に決めた。順番が、逆なのです。
石油会社の社員が、タンクの底を這った
決めたあと、彼らが何をしたか。
GHQから請け負ったラジオの修理販売。農業。漁業。そして、旧海軍のタンクの底に残った、泥水混じりの油をすくい取る作業。
石油会社の社員が、タンクの底を這っていたのです。
命じられてやったのではありません。社長が「クビにしない」と先に言い切った。だから社員のほうが、自分たちで仕事を探しにいった。
ここに、この人のいちばん大事な考え方があります。
信頼は、成果への報酬ではなく、先に払うもの。
普通は逆です。成果を出したら評価する、貢献したから守る。出光は、その順序をひっくり返しました。先に守った。だから、動いた。
そして戦後、このときタンク底の油さらいや農業を任された人たちが、そのまま出光興産の躍進を支える中核になっていきます。
終戦の2日後、8月17日。彼が社員に伝えたのは、三つだけでした。
愚痴を止めよ。世界無比の三千年の歴史を見直せ。そして今から建設にかかれ
日本中が茫然としていた日に、もう建設の話をしている。
先日ご紹介した盛田昭夫が、10万台の注文を断って50年後の名前を選んだのと、同じ方向を向いた目線だと思います。目の前ではなく、その先を見ている。
クビなし、定年なし、出勤簿なし
出光には「四無主義」がありました。クビなし、定年なし、出勤簿なし、労働組合なし。
タイムカードのない会社です。管理をやめた、というより、管理する必要のない状態を先につくった、と言うほうが近い。
まさに「言わなくても動くチーム」です。
ただ、勘違いしてはいけないところがあります。
出光自身が、家族主義について釘を刺しているのです。優しいだけではだめだ、優しい愛情だけでは「金持ちの坊ちゃん」になってしまう、真の愛には厳しさが要る、と。
守ることと、甘やかすことは別物です。彼は社員に、猛烈に働くことを求めました。
守るから、要求できる。ここでも順序が逆なのです。
松下幸之助が「ダム経営」で説いたのも、これと近い話でした。余裕は、必要になってから作るものではない。先に作ってあるから、いざというときに動ける。
「カネは人についてくる」
彼は、こう語っています。
わが社の資本はカネでなく、人間だ。カネは資本の一部だ。いちばん大切なのは人。人が第一であって、人が事業をつくり、事業がカネをつくる。カネは人についてくる
人手不足倒産が過去最多、という数字を、出光の側から読み直すとこうなります。
人が辞めるのは、待遇だけの問題ではない。「ここは自分を守ってくれる場所か」が見えないからです。
もちろん、いまの会社が「絶対に解雇しない」と宣言するのは難しい。
でも、小さい単位でなら、今日からできます。
現場の班で。チームで。自分が責任を持てる範囲で、先に「ここは守る」と決めておく。ミスが出たときに誰を責めないか、それを先に決めておくだけでも、人の動きは変わります。
おわりに
今日から持ち帰れることを、三つだけ。
1つめ。守る宣言を、先に出すこと。
成果が出たら守る、ではありません。先に「ここは守る」と言っておく。順序を逆にするだけで、信頼は動きはじめます。
2つめ。仕事を探す側に、回らせないこと。
出光が言ったのは「仕事をつくれ」でした。指示待ちが生まれるのは、たいてい足元が不安定なときです。足元さえ固めてあれば、人は自分から動きはじめる。
3つめ。守ることと、甘やかすことを分けること。
守るからこそ、高い要求ができます。優しさだけでは、人は育ちません。
——あなたが預かっている人たちに、「ここは守る」と、先に言えているでしょうか。
(昨日の「先に守る」の次は、「どこで手を離すか」の話です。高嶋仁「甲子園は、自由にさせる」――48年握り続けた人が、最後に手を離した)
(「先に守る」と「先に自分が削る」。同じ構造のもう一人です。土光敏夫「私はそれ以上に働く」――上にいくほど、重くする)
(出光の「先に守る」を、今週の他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――「やれ」と言う前に、彼らが済ませていたこと)
(「仕事がないなら、つくれ」と同じ場所から出た言葉を、鉄道と町づくりで実行した人がいます。小林一三「乗る人がいないなら、町をつくればいい」――需要は、探すものか、作るものか)
この人の考えを、もっと深く
出光佐三という人を、もう少し近くで眺めたい方へ。三冊、置いておきます。
『海賊とよばれた男(上)(下)』(講談社文庫・百田尚樹) 出光佐三をモデルにした長編小説。1945年のあの決断が、どんな空気の中で下されたのかを物語として味わえます。まずここから入るのがおすすめです。
『出光佐三 人を動かす100の言葉』(プレジデント社) 本人の言葉から直接学びたい方へ。「馘首はならぬ」も「カネは人についてくる」も、この系統の言葉です。手元に置いて、開いたページを読む使い方が合います。
『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書・渋沢栄一) 「人が事業をつくる」という考え方の、日本での源流にあたる一冊。渋沢栄一の道徳経済合一説と並べて読むと、系譜が見えてきます。
人物プロフィール:出光佐三(いでみつ・さぞう)
1885年〜1981年。実業家。出光興産創業者。福岡県宗像郡赤間村(現在の福岡県宗像市)生まれ。
神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を卒業後、1911年に門司で出光商会を創業。石油の販売を軸に事業を広げた。
1945年の敗戦時、海外資産のすべてを失い莫大な負債を抱えながら、約1,000人の社員を一人も解雇しないと決断。「馘首はならぬ、仕事をつくれ」の言葉を残した。ラジオの修理販売・農業・旧海軍タンクの底油さらいなど、社員自身が仕事をつくることで会社を存続させた。
「クビなし・定年なし・出勤簿なし・労働組合なし」の四無主義で知られる。1953年には、イギリスによる海上封鎖下にあったイランへタンカー日章丸を派遣して石油を輸入し(日章丸事件)、国際的な注目を集めた。1981年、95歳で死去。
