和育道〜wa-iku〜
育の章

ジャッキー・ロビンソン――同じグラウンドに立てることを、当たり前にしない

Jackie Robinson — American baseball player and civil rights advocate (1919–1972) Read in English ↓

試合に出る前から、閉ざされた入口がある。ジャッキー・ロビンソンの歩みから、競技の中で人を敬うとはどういうことかを考えます。

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夕暮れの球場。ベースのそばに、ひとり立つ選手の後ろ姿(イメージ挿絵:和育道)
夕暮れの球場。ベースのそばに、ひとり立つ選手の後ろ姿(イメージ挿絵:和育道)

試合に出る前から、閉ざされた入口がある。ジャッキー・ロビンソンの歩みから、競技の中で人を敬うとはどういうことかを考えます。

グラウンドに立つ、その手前にあるもの

練習して力をつければ、試合に出る機会に近づける。そう考えられる環境そのものが、いつでも誰にでも開かれていたわけではありません。

敬老の日から彼岸へ続く週に、受け継いできたものを思うなら、道具や技術とともに、参加できる機会にも目を向けたいと思います。先に生きた人が押しひらいた入口は、今では見えにくくなっていることがあります。

人種の壁の前で、競技を続ける

1947年4月15日、ジャッキー・ロビンソンはメジャーリーグの試合に出場しました。近代のメジャーリーグで、黒人選手に対する人種の壁を破る節目となった出来事です。米国国立公園局・ロビンソンの生涯

それを、誰にでもできる努力の物語として片づけることはできません。能力とは別の理由で機会が閉ざされる社会に、彼は立っていたからです。敬意とは、その背景を飛ばして結果だけを褒めることでもないのでしょう。

「人生の重みは、ほかの人の人生に与える影響にある。」

――公式サイト掲載の言葉より、WA-IKU訳。ロビンソン公式サイト・Legacy

この言葉は、1947年の試合直前の発言として残っているものではありません。彼の歩みを受け継ぐ公式サイトが掲げる言葉として、人生全体に重ねて読みます。

次の人が入れる場所を残す

グラブとボールがあっても、誰もが安心して競技を始められるとは限りません。初めて来た人への説明、失敗した人への声、仲間として迎える態度。設備には表れない条件が、その場に戻ってこられるかどうかを左右します。

ロビンソンの死後、妻が設立した財団は、若者の進学や成長を支える活動を続けてきました。ジャッキー・ロビンソン財団・About 競技場の外へも、機会をひらく仕事は受け継がれています。

現代の私たちに引き寄せるなら、自分が活躍できるかと同時に、誰が入口で立ち止まっているかを見てみることかもしれません。技量の差を認めることと、人としての尊厳を分け隔てることは別です。先人への感謝を、次に来る人への扱いに残していきたいと思います。

今を生きる私たちへ

1つめ。入口の説明を省かない

初参加の人には、慣れた人同士だけで通じる約束も言葉にする。分からないと伝えやすい空気をつくります。

たとえば、体育館に初めて来た子に「いつもの並びで」と言っても、その「いつも」を知らないのは、その子だけです。「壁側から背の順で並ぶよ」と一言を足せば、その子はもう迷わずに輪に入れます。

2つめ。人を小さくする冗談に流されない

出自や見た目をからかう言葉が出たときは、笑って合わせず、競技に関係のない線引きだと伝える方法を考えます。

たとえば、誰かの背の低さや話し方をいじって、その場が笑いに包まれたとき。一緒に笑えば、からかわれた本人だけが輪の外に置かれます。「その話はやめておこう」と短く挟むだけで、線は引き直せます。

3つめ。結果の前に参加の条件を見る

うまくできない理由を本人の意欲だけで決めず、道具や時間、説明に届いているかも確かめます。

たとえば、居残り練習に来ない子がいたとして、やる気がないと決めてしまう前に、帰りのバスの時間を聞いてみる。理由が本人の外側にあることは、思っているより多いものです。

4つめ。受け取った機会を次へ渡す

自分が助けられた工夫を、次に来た人にも渡す。小さな案内役を引き受けることから始められます。

たとえば、自分が新人だったころに先輩がしてくれた道具の借り方の説明を、今度は自分が次の新人にする。受け取ったものを一つ下へ流すだけで、入口は開いたままになります。

おわりに

先人に頭を下げるとき、その人はどうしても、遠い時代の英雄のように見えます。けれど、いま自分が当たり前のように立っているこの場所も、初めから開かれていたわけではありません。誰かが押しひらいた入口の先に、私たちは立っています。だとすれば、感謝の返し方は一つではないのだと思います。過ぎた時代を仰ぐだけでなく、次に来る人が入りやすいように、入口を少し広げておく。ロビンソンから受け取れるものがあるとすれば、たぶんそこです。敬意は、今日のグラウンドでの振る舞いとしても残せます。

次回は、もっとも身近な人へ向ける愛について考えます。

土のグラウンドに残されたグローブとボール。誰かが使い、次の誰かがまた使う道具(イメージ挿絵:和育道)
土のグラウンドに残されたグローブとボール。誰かが使い、次の誰かがまた使う道具(イメージ挿絵:和育道)

あわせてどうぞ:受け取った知恵を次へ渡すことを書いた空海「物の興廃は必ず人に由る」。コートの上で同じ壁に向き合った指導者の話はレッド・アワーバック「一度勝つ」と「勝ち続ける」は、まるで違う。翌日の記事はマザー・テレサ「愛は家庭から」――手を合わせたあと、身近な人の顔を見る。


この人物を、もっと知りたい方へ

『アメリカを変えた黒人アスリート偉人伝 ジャッキー・ロビンソンと6人のヒーローたちの物語』(カンゼン・三谷悠) ロビンソンを第1章に置き、ボクシング・NBA・NFL・陸上・テニスへと、差別のなかで競技を続けた人たちをたどる一冊。日本語で読めるまとまった入口です。

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『ジャッキー・ロビンソン 人種差別をのりこえたメジャーリーガー』(汐文社・近藤隆夫) 子どもと一緒に読める伝記。何をした人かを追うだけでなく、どんな扱いを受けながら続けたのかが、やさしい言葉で書かれています。

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『ジャッキー・ロビンソン物語』(ちくま文庫・リチャード・スコット 編) 本人の歩みを、当時の記録に沿ってたどる一冊。文庫なので手に取りやすい版です。

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人物プロフィール

ジャッキー・ロビンソン(1919–1972)

野球選手・公民権運動の担い手。近代メジャーリーグの人種の壁を破り、競技の外でも平等な機会を求めた。ひとことで:次の人の入口をひらいた選手。

ロビンソンが暮らした場所

メジャーリーグでの最初の時期に、ロビンソンが家族と暮らした地域。

ブルックリンに残るロビンソンの旧居。メジャーに上がったころ、家族とこの家で暮らした(写真:Wikimedia Commons/Dmadeo/CC BY-SA 4.0)
ブルックリンに残るロビンソンの旧居。メジャーに上がったころ、家族とこの家で暮らした(写真:Wikimedia Commons/Dmadeo/CC BY-SA 4.0)
エベッツ・フィールド(絵はがき)。1947年4月15日、ロビンソンはこの球場で最初の試合に出た(写真:Wikimedia Commons/ボストン公共図書館/パブリックドメイン)
エベッツ・フィールド(絵はがき)。1947年4月15日、ロビンソンはこの球場で最初の試合に出た(写真:Wikimedia Commons/ボストン公共図書館/パブリックドメイン)
ロビンソンが暮らしたニューヨーク州(赤色)。アメリカ北東部、大西洋に面する(地図:Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0)
ロビンソンが暮らしたニューヨーク州(赤色)。アメリカ北東部、大西洋に面する(地図:Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0)
ニューヨーク市5区のなかのブルックリン(赤色)。マンハッタンの南東に広がる区(地図:Wikimedia Commons/WallStreetMainStreetParkAvenue/CC BY 4.0)
ニューヨーク市5区のなかのブルックリン(赤色)。マンハッタンの南東に広がる区(地図:Wikimedia Commons/WallStreetMainStreetParkAvenue/CC BY 4.0)

この土地へ行くなら

アメリカ・ニューヨーク/ブルックリンニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区

ロビンソンが最初の一歩を踏み出した町です。当時の球場エベッツ・フィールドはもう無く、跡地には団地が建っています。それでも壁には球場の名が残り、彼が家族と暮らした家は今も通りに立っています。歴史が残っているというより、暮らしの中にそのまま埋まっている。そういう歩き方ができる街です。

赤の①②③は歩く順、藍色の a・b・c は寄り道の場所。右上の小さな2枚は、アメリカのなかと、ニューヨーク周辺のなかでの位置。(地図:© OpenStreetMap contributors © OpenMapTiles/Powered by Geoapify)

↑ 押すと大きく開きます

歩く順

  1. 1ロビンソンが暮らした家ロビンソンが暮らした家イースト・フラットブッシュの街角に立つ赤煉瓦の家。メジャーに上がったころ、家族とここで暮らした。今も人が住む個人の住まいなので、外から静かに眺めるだけに写真:Wikimedia Commons/Dmadeo/CC BY-SA 4.0
  2. バスと地下鉄で15分ほど
  3. 2エベッツ・フィールド跡エベッツ・フィールド跡1947年4月15日、最初の試合に出た球場の跡地。今は高層の団地が建ち、壁に「EBBETS FIELD」の名が残る写真:Wikimedia Commons/Jim.henderson/パブリックドメイン
  4. 地下鉄で40分ほど(川を渡ってマンハッタンへ)
  5. 3ジャッキー・ロビンソン博物館ジャッキー・ロビンソン博物館2022年に開いた記念館。背番号42のユニフォームが窓越しにも見える。開館日は公式サイトで確認を写真:Wikimedia Commons/Jim.henderson/CC BY-SA 4.0
Googleマップで経路を開く >

寄り道するなら

時間があれば

この土地の一皿

博物館は開館日と時間が決まっています。行く前に公式サイトで確認を。

①の家は個人の住まいです。敷地に入らず、通りから眺めるだけにしてください。

開館時間や料金は変わることがあります。おでかけ前に公式サイトでご確認ください。

拡大した地図abc
  • 1ロビンソンが暮らした家
  • 2エベッツ・フィールド跡
  • 3ジャッキー・ロビンソン博物館
  • aグランド・アーミー・プラザ
  • bプロスペクト・パーク
  • cバークレイズ・センター

ENGLISH SUMMARY

Jackie Robinson — American baseball player and civil rights advocate (1919–1972)

“A life is not important except in the impact it has on other lives.”

— Quoted on the official Jackie Robinson website

His former home in Brooklyn, New York, USA

In 1947 he became the first Black player in the modern major leagues, breaking the color line.

His achievement was not a simple story of effort: opportunity itself had been closed to him by race.

His legacy asks us to notice who is still standing at the entrance, unable to come in.

働き盛りの会社員 × バスケコーチ × 地域活動家

~すべては、愛から~

和を敬い × 人を育て × 道を歩む。

和育道~wa-iku~

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