※本記事にはプロモーション(アフィリエイト広告)を含みます。

「自分ひとりが動いても、どうせ何も変わらない」
そう思ったこと、ありませんか。
地域のこと、職場のこと、社会のこと。おかしいと感じても、決めるのは上の人たち。専門家でもない自分が声を上げたところで、聞いてもらえるはずがない。
だから、黙って受け入れる。
その気持ちは、よく分かります。実際、多くの場合そうなのですから。
けれど――専門知識も、地位も、権力も持たない一人の住民が、巨大な開発計画を止めてしまったことがあります。
しかも、その人が書いた一冊の本は、世界中の都市計画の常識を、根本からひっくり返しました。
その人の名は、ジェイン・ジェイコブズです。
「勝てるはずがない」戦い
1960年代のニューヨーク。
マンハッタンの下町を貫く、巨大な高速道路の建設計画が持ち上がっていました。古い街並みを丸ごと取り壊す計画です。
推進していたのは、ロバート・モーゼス。ニューヨークの都市開発を数十年にわたって支配した、絶大な権力を持つ人物でした。
誰もが、この計画は止められないと思っていました。
けれど、一人の女性が立ち上がります。
ジェイン・ジェイコブズ。彼女は都市計画の専門家でも、政治家でもありません。建築の学位すら持っていない。ただ、その地域に暮らす一人の住民でした。
彼女は、地域の人々を組織し、粘り強く反対運動を続けました。
そして――ついに、その巨大な計画を撤回させたのです。
「整然とした街は、死んだ街になる」
当時の都市計画の主流は、「効率」と「機能分離」でした。
住宅地、商業地、工業地。それぞれをきれいに分ける。道路を広くし、高層ビルを建て、公園を配置する。
上から見れば、美しく整然とした計画です。専門家たちは、それが理想だと信じていました。
けれどジェイコブズは、実際に街を歩き、そこで暮らす人々を観察して、まったく違う結論にたどり着きます。
整然と区分された街は、死んだ街になる。
なぜでしょうか。
住宅地だけの区域は、昼間は誰もいなくなる。オフィス街は、夜になると無人になる。
人がいない場所は、危険になり、活気を失う。
逆に、彼女が「生きている」と感じた街は、雑然としていました。一階に店があり、上には住居がある。小さな工房と、レストランと、家が混ざり合っている。
そういう場所では、朝も昼も夜も、常に誰かがいるのです。
「通りの目」――監視ではなく、関心
ジェイコブズが提唱した、有名な概念があります。
「Eyes on the Street(通りの目)」
安全な街を作るのは、警察でも監視カメラでもない。そこに暮らす人々の「目」だ、という考え方です。
商店の店主が、店先から通りを見ている。二階の住人が、窓から外を眺めている。道端で立ち話をする人がいる。
こうした日常的な視線があるだけで、街は自然と安全になっていきます。
不審な行動をする人は、誰かに見られていると感じる。困っている人がいれば、誰かが気づく。
けれど、これは監視ではありません。関心です。
地域に関心を持つ人が多いほど、その地域は安全で、あたたかくなる。
そして彼女は、こう指摘しました。この「通りの目」は、計画では作れない。人々が自然に集まり、交わる場所にしか生まれない、と。
だからこそ彼女は、雑然とした古い街並みを守ろうとしたのです。そこには、計画では決して作れない「生きたつながり」があったからでした。
(地域への関心が、その場所を育てる――この感覚は、地域と共に栄えることを商いの芯に置いた近江商人「三方よし」とも響き合います。)
「歩道のバレエ」
ジェイコブズは、街の日常を、こんなふうに美しく表現しました。
「歩道のバレエ」
朝、子どもたちが学校へ向かう。店主がシャッターを開ける。会社員が駅へ急ぐ。
昼、買い物に出た人が、近所の人と立ち話をする。
夕方、子どもたちが遊び、大人たちが帰ってくる。
夜、店に人が集まり、そして静かになっていく。
この一日の人の流れを、彼女は「バレエ」と呼びました。
誰かが指揮しているわけではありません。それなのに、絶妙なリズムで、人々が入れ替わり立ち替わり現れる。
この自然発生的な秩序こそが、健全な街の姿だと、彼女は説きました。
朝の挨拶。店先での立ち話。祭りの準備。子どもたちの登下校。一つひとつは、ささやかな日常です。けれど、その積み重ねが、地域の「生きた秩序」を作っている。
そしてそれは、外から与えられるものではありません。そこに暮らす人たちが、自分たちで作るものなのです。
「多様性」が、街を強くする
ジェイコブズが繰り返し強調したのが、「多様性」でした。
一種類の建物、一種類の用途、一種類の人だけの街は、脆い。
古い建物と新しい建物が混在し、小さな店と大きな店があり、さまざまな年齢・職業の人が暮らす。そういう多様な街こそが、変化に強く、活気があると。
理由も、極めて実際的です。
新しい建物は、家賃が高い。だから、資本のある大企業しか入れません。
けれど古い建物は、家賃が安い。だから、小さな商店や、始めたばかりの事業者が入れる。
この「安い場所」があるからこそ、新しい挑戦が生まれるのです。
すべてを新しく建て替えてしまうと、この「挑戦の場」が失われてしまう。街から、次の芽が消えてしまうのです。
(「違うものが混ざっているから強い」――この考えは、孔子の「和して同ぜず」に、2500年の時を超えて重なります。)
今を生きる私たちへ
ジェイコブズの視点は、都市計画の話にとどまりません。
理論より、現場の実感を信じる。 上から見た数字や計画より、実際にそこにいる人の感覚のほうが、正しいことがあります。歩いて、見て、感じる。それが本質を教えてくれます。
「関心」を持つ人が、場所を良くする。 監視でも管理でもなく、関心。挨拶をする、様子を気にかける、声をかける。その視線が増えるだけで、その場所は安全であたたかくなります。職場でも、学校でも、同じです。
日常の小さな積み重ねが、秩序を作る。 誰かが指揮しなくても、一人ひとりの日常が重なれば、そこに「生きた秩序」が生まれる。あなたの毎日の挨拶も、その一部です。
多様性を、面倒がらない。 均一なものは、扱いやすいけれど脆い。違うものが混ざっている場所ほど、変化に強く、新しいものが生まれます。
おわりに
ジェイン・ジェイコブズは、専門家ではありませんでした。
だからこそ、専門家が見落としていたものが見えたのだと思います。
彼女が持っていたのは、学位でも権力でもない。自分が暮らす場所への深い愛情と、鋭い観察眼でした。
彼女は、こんな言葉を遺しています。
都市は、すべての人によって作られるとき、すべての人に何かを提供できる。
一部の専門家や権力者が作る街ではなく、そこに暮らす一人ひとりが作る街。それこそが、本当に豊かな場所だ、と。
彼女が証明したのは、たった一つのシンプルな事実です。
一人の住民でも、街を変えられる。
権力がなくても、専門知識がなくても。その場所への愛と、行動する意志さえあれば。(誰より先にその場所を憂い、動く――范仲淹「先憂後楽」の心にも通じます。)
今日、自分が暮らす場所に、少しだけ関心を向けてみませんか。
すれ違う人に挨拶をする。近所の変化に気づく。子どもたちに目を向ける。
その小さな関心の積み重ねが、生きた地域を作っていきます。
(ジェイコブズの「日常の視線」を、他の4人との“共通点”から振り返るまとめ記事歴史に名を刻んだ5人は、全員「持たざる者」だったも、あわせてどうぞ。)
(「通りの目」が日本で最も濃くなる場所が、祭りです。祭りは「無駄」なのか――柳田國男「ハレとケ」が教える、日常の支え方も、あわせてどうぞ。)
(街を作るのは一人ひとりの関心である――同じことを、1200年前の日本で説いた僧がいました。「自分は大したことをしていない」と思う日に――最澄「一隅を照らす」)
この人物を、もっと知りたい方へ
ジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』は、都市論の古典として、今も世界中で読み継がれています。
専門書でありながら、街を歩く人の目線で書かれているため、驚くほど読みやすいのが特徴です。「通りの目」「歩道のバレエ」といった彼女の言葉に触れると、いつも歩いている自分の街が、まったく違って見えてきます。
『アメリカ大都市の死と生[新版]』(鹿島出版会・山形浩生 訳) 「通りの目」「歩道のバレエ」が生まれた都市論の古典。一人の住民の観察眼が、世界の常識を変えた一冊です。
一人の住民が巨大な計画を止めた物語を知った今なら、その一節一節が、より力強く響くはずです。
人物プロフィール:ジェイン・ジェイコブズ
経歴・功績
ひとことで:専門家でも権力者でもない一人の住民として、巨大な再開発計画を止め、「街を作るのはそこに暮らす人々だ」という思想を世界に広めた作家・活動家。
