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走る人が力を伸ばすには、走れる場を用意する人も必要です。箱根駅伝の創設に尽くした金栗四三の、次の世代へ向けた準備をたどります。
まだ自分も走っているうちに、次の選手の道をつくった
誰かを育てようとするとき、私たちは練習の中身や声のかけ方を考えます。けれど、目標にできる大会がなければ、積み重ねた力を試す機会は限られます。走る本人の努力と、その努力を受け止める場。両方がそろってこそ、育つ道が開けます。
金栗四三は、1912年のストックホルム五輪に出場した、日本初のオリンピック選手の1人です。マラソンは途中棄権に終わりました。その後も競技を続けながら、金栗は後の選手たちが力を伸ばすための大会づくりに取り組みます。
1920年、28歳の金栗は、仲間と箱根駅伝の創設に尽力しました。まだ現役の選手だった時期です。自分の競技人生が終わるのを待たず、次に走る人たちのためにも動いていました。
自分が強くなることと、後の世代を育てることは、同時に取り組める。金栗の歩みを読むと、そんな広がりが見えてきます。
励ます言葉を、参加できる大会へ
和水町の公式紹介には、駅伝創設を呼びかけた金栗の言葉として、次の1文が掲載されています。
一度にたくさんの選手を作るには、駅伝競走が最適だ。
出典:和水町教育委員会「箱根駅伝の創設」に掲載された言葉から抜粋
金栗らは学校へ大会の意義を伝え、参加を呼びかけました。応じたのは早稲田・慶応・明治・東京高等師範の4校。1920年2月14日、第1回大会が開かれます。箱根駅伝の公式史は、その出発点を、世界で競える選手を育てる願いに置いています。
たすきをつなぐには、複数の選手が必要です。各校に走者を育てる理由が生まれ、選手には力を試す目標ができます。これは、駅伝という形を育成の面から見たときの意味でしょう。
大会の日に目に入るのは、走者の姿です。その前には、参加する学校を募り、競える形を整える仕事がありました。そうした働きかけがあって、選手はスタートラインに立てたのです。
走る足元と、学ぶ手がかりも残す
準備は、大会だけではありませんでした。
金栗は、足袋店「ハリマヤ」の黒坂辛作と、走るための足袋の改良に取り組みました。金栗が履いて走り、黒坂が直す。ゴム底や形の工夫を重ね、1919年に「金栗足袋」として商標登録され、発売されました。その後、多くの選手に使われています。
ここにあるのは、我慢して走り抜くよう求めるだけでは届かない仕事です。使う物の側を変えれば、同じ難しさに出会う人の助けになります。
知識を渡す方法も用意しました。1916年、25歳のときに刊行された『ランニング』で、金栗は練習法だけでなく、食事や日常生活にも踏み込んでいます。
その原著の「緒言」に、本を書いた理由が記されています。
あてどなくやっている人が熱心努力の結果、上達進歩しても、その方法なり、注意なりについて自己の意見を発表し、書き残すことをしないので、その人が亡くなればその後は、もとのもくあみ、また新たに工夫せねばならないという傾向であった。誠に遺憾千万ではないか。
出典:『ランニング』原著(1916年)の緒言より。時事通信出版局「復刻新装版ランニング」の紹介に掲載
書き残さなければ、その人が亡くなったあと、また一から工夫することになる。金栗が惜しんだのは、そこでした。直接教えられる人数には限りがあります。けれど本にして渡せば、その場にいない人にも学ぶ手がかりが届く。自分の経験を、自分だけのものにしない準備でもありました。
大会、道具、知識。金栗の行動を並べると、選手が努力を続けるための条件へ、具体的に手を伸ばしていたことが分かります。
競技の入り口を広げた教育者
金栗は1924年のパリ五輪を最後に競技の第一線を退いた後も、女学校で教えながら、マラソンや女子体育の普及に取り組みました。帰郷後には、学校対抗のマラソン大会や駅伝も企画しています。
記録を伸ばす選手を育てる仕事と、スポーツに出会う人を増やす仕事。その両方に取り組んだところに、金栗の育成の幅があります。
「日本のマラソンの父」という呼び名を、精神の強さだけで説明することはできません。仲間と大会をつくり、職人と道具を改め、知識を伝え、参加の機会を広げた。後の人が走り続けるために残した、こうした行動から読みたい呼び名です。
今を生きる私たちへ
ここからは、金栗の行動を、日々の育成や引き継ぎに置き換えた和育道の実践案です。
1つめ。頑張りを試せる場を用意する。
教える内容と一緒に、使ってみる機会も考えます。短い発表や小さな練習会でも、目標が見えると準備する理由が生まれます。
2つめ。つまずきが続く道具や手順を見直す。
同じところで困る人が続いたら、使う物や説明の順序を確かめます。本人の頑張りに加えて、取り組む条件を整える余地があります。
3つめ。経験を、次の人が使える形にする。
うまくいった方法だけでなく、迷った点も短く残します。初めての人が読んで動けるかを確かめれば、経験が引き継ぐための知識になります。
4つめ。まだ参加していない人の入り口をつくる。
慣れた人だけで予定を組まず、初心者が加われる時間や役割を設けます。参加の仕方が見えることも、人が育つための準備です。
おわりに
成果は、記録や順位のように、目に見える形で数えられます。一方で、参加を呼びかけた時間や、道具を直した工夫、次の人のために残した知識は、結果の欄には載りません。
それでも、その準備があるから走り出せる人がいます。
金栗四三は、自分も競いながら、次の世代が競える道を用意しました。誰かの力を伸ばしたいと願うとき、その人が努力を重ねられる場まで考える。私たちにも、そこから始められる仕事がありそうです。
——あなたが育てたい人には、力を試せる場が用意されているでしょうか。

(この回を、今週の他の4人との共通点から振り返るまとめ記事はこちら:頑張りを成果につなげる、見えない準備――5人の歩みから、まず一つ整える)
この準備を、もっと深く
金栗四三という人を、もう少し近くで眺めたい方へ。
『ランニング』復刻新装版(時事通信出版局・金栗四三 著/増田明美 解説) 1916年の原著から、金栗が書いた長距離走の部分を復刊した一冊。練習法だけでなく、食事や日常生活にまで踏み込んでいます。
『箱根駅伝に賭けた夢 「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡』(講談社・佐山和夫) オリンピックへの挑戦から箱根駅伝の創設まで、金栗の生涯をたどる評伝です。
人物プロフィール:金栗四三(かなくり・しそう)
1891年〜1983年。陸上競技の長距離選手・指導者。現在の熊本県玉名郡和水町の生まれ。
1912年のストックホルム五輪に、日本初のオリンピック選手の1人として出場。その後も2大会に出場した。
現役中に箱根駅伝の創設に尽力し、足袋の改良、体育教育、競技会の企画を通じて後進の活動を支えた。「日本のマラソンの父」と呼ばれる。

金栗四三の足あと




