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慣れた役割を離れると、できないことが急に増えるように感じます。競技生活を終えた小平奈緒の「知るを愉しむ」という軸から、切り替えの時期を考えます。
できる自分から、学ぶ自分へ
長く続けた役割には、安心があります。何をすればよいか分かり、周りからも頼られる。その場所を離れると、同じ自分なのに、急に頼りなく感じることがあるでしょう。
衣替えでは、着慣れた服をいったんしまいます。生き方の切り替えも、それまでの自分を捨てることではなく、今の季節に合う形を探すことなのかもしれません。
氷の上で育てたものは、外へ持ち出せる
小平奈緒は2018年の冬季五輪で、スピードスケート女子500mの金メダルを獲得しました。2022年には現役最後の大会で同種目を制し、競技生活を終えています。三重県総合文化センター・小平奈緒講演の公式報告
結果だけを見ると、揺るぎない完成形の選手に見えるかもしれません。けれど、競技後に開かれた講演の題は、到達した人の答えを配るというより、学ぶ姿勢そのものを表していました。
「知るを愉しむ」
――小平奈緒の活動テーマ・講演題。三重県総合文化センター・小平奈緒講演の公式報告
2024年の講演の公式報告では、競技人生を振り返りながら、知ることを楽しみ、パフォーマンスにつなげてきた過程を語ったと紹介されています。引退後には、経験を学生や地域の人へ伝える活動にも取り組んできました。
役割を越えて残る、自分の動詞
スケート靴を履いて滑ることと、人に経験を伝えることは、見た目には違う仕事です。それでも、観察する、試す、知る、伝えるという動詞は、場所を移して使うことができます。
私たちも、肩書きだけで自分を説明すると、その肩書きが変わる時期に戸惑いやすくなります。そこで、長くしてきたことの中から、どんな行為が好きだったのかを取り出してみる。人を励ますことなのか、仕組みを調べることなのか、手を動かして確かめることなのか。
何もかもがすぐに得意である必要はありません。新しい役割で分からないことが出てきたら、以前の自分に劣ったと考えるだけでなく、新しく知ることが増えたと受け取る道もあります。
小平の短いテーマは、過去を否定せず、未来を出来上がったものとして扱わない言葉に聞こえます。切り替える季節には、完成した答えより、持ち運べる問いが助けになるのかもしれません。
今を生きる私たちへ
1つめ。肩書きの代わりに動詞を書く
これまでの役割でしてきたことを、「支える」「調べる」などの動詞にする。場所が変わっても使える力が見つかるかもしれません。
たとえば、「部長をしていました」ではなく「人の話を聞いて、段取りを決めていました」と言い換えてみる。肩書きは会社を出ると通じませんが、動詞はどこでも通じます。
2つめ。初心者の質問を1つする
知らないことを隠すより、具体的に尋ねてみる。経験がある分野と、これから学ぶ分野が同時にあっても構いません。
たとえば、新しい場所で知らない略語が出たら、その場で「それ、何の略ですか」と聞いてみる。最初の一週間なら誰も変に思いません。聞きそびれると、半年たっても聞けなくなります。
3つめ。以前の得意と比べすぎない
新しい役割を、長年続けた仕事の完成度と比べない。今の段階で分かったことや、少し慣れたことを記録します。
たとえば、はじめて使う道具にてこずった日は、「前なら1時間で終わったのに」と数えない。代わりに「今日は一人で始められた」と書いておく。比べる相手は、昨日の自分だけで足ります。
4つめ。知ったことを誰かに渡す
小さな気づきを短く説明してみる。伝える途中で、自分がまだ分かっていないところにも気づけます。
たとえば、覚えたばかりの手順を、翌日に入った人へ説明してみる。途中で詰まったところが、自分のまだ分かっていない場所です。
おわりに
役割が変わると、それまでの自分ごと置いていかなければいけないような気がします。
けれど手放すのは肩書きであって、その人が育ててきた好奇心ではありません。得意なことを持ったまま、分からないことにも出会っていい。むしろ両方ある人のほうが、新しい場所でよく動けます。
小平さんが競技のあとに選んだのも、そういう続け方でした。
次回は、肩書きを手放したあとに残る思いと、再出発の言葉をたどります。
あわせてどうぞ:昨日のココ・シャネル――使う人の暮らしから、仕事を着替える。翌日の記事はスティーブ・ジョブズ――肩書きを手放しても、好きな仕事は残る。

この人物を、もっと知りたい方へ
熟達論 人はいつまでも学び、成長できる(為末大著、新潮社) 競技を離れたあとも学び続ける道筋を、元陸上選手の著者が言葉にした本です。
信頼と情熱(大野益弘著、あかね書房) 小平奈緒とイ・サンファなど、競い合う仲間との関係を描いたアスリートの物語を収めた本です。
諦める力(為末大著、小学館) 役割や目標を選び直すことを前向きにとらえる考え方を、元陸上選手の著者がまとめた本です。
人物プロフィール
小平奈緒(1986年生)
元スピードスケート選手。2018年冬季五輪女子500m金メダリスト。2022年に現役を退き、経験を伝える活動にも取り組む。ひとことで:学ぶ喜びを、次の舞台へ持ち運ぶ人。
ゆかりの地
小平が育った茅野の、スケートに親しんだ原点となる場所。










