和育道〜wa-iku〜
道の章

幸田こうだ露伴ろはん――頑張っているのに進まないとき、足りないのは「準備の努力」

努力には、目の前で力を尽くす直接の努力と、その土台をつくる間接の努力がある。幸田露伴が『努力論』に書いた「準備の努力」をたどります。

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書物を広げた文机の前で、書き始める前に考える男性(イメージ挿絵:和育道)
書物を広げた文机の前で、書き始める前に考える男性(イメージ挿絵:和育道)

努力という言葉から、何を思い浮かべるでしょう。幸田露伴の『努力論』には、目の前で力を尽くすことだけではない、もう1つの努力が書かれています。

忙しかったのに、何も進んでいない

やるべきことに向かっていたはずなのに、終えてみると肝心な仕事が残っている。そんなとき、私たちは「集中が足りなかった」と自分を責めがちです。

でも、途中で資料を探し続けていたなら。作業を始める条件が分からず、何度も手が止まっていたなら。足りなかったものは、気合だけではないかもしれません。

幸田露伴の『努力論』を読むと、目に見える頑張りの手前にも、努力として扱ってよい時間があると気づかされます。

物語を書いた人が、努力を考えた

露伴は『五重塔』などの作品で知られる文学者です。小説だけでなく、人がどう生き、力を育てるかを考えた文章も残しました。人物と著作の紹介

『努力論』の自序には、大正元年、つまり1912年の夏という日付があります。そこでは、雑誌などに書いた文章をまとめた経緯とともに、努力を直接と間接の両面から見る考え方が示されています。幸田露伴『努力論』自序・青空文庫

間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。

出典:幸田露伴『努力論』「自序」。上記の青空文庫本文から引用。

誰かを励ますために、その場で言った決めぜりふではありません。書物の入口で、これから努力をどう考えるかを示した1文です。だからこそ、前後の考えと一緒に受け取りたい言葉です。

努力の量だけでなく、向きと土台を見る

自序で露伴は、努力の結果がよくない場合について、向きがよくないことや、間接の努力が欠けていることを挙げています。頑張る時間を増やす以外にも、確かめる場所があるという読み方ができます。『努力論』自序

たとえば、説明の練習を何度もしているのに伝わらないとします。話す回数を増やす前に、相手が何を知らず、何を知りたいのかを整理する。その時間は、まだ話していなくても、説明を支えています。

あるいは、本を読もうとしてページが進まないとき。読み切ることに力を入れる前に、「この本から何を持ち帰りたいか」を1行だけ書く。目的が定まると、どこを丁寧に読むかを考えやすくなります。

これらは露伴が挙げた具体例ではなく、その言葉を日常に置き換えたものです。準備という言葉を、立派な計画書を作ることに限らず捉えてみたいのです。

準備が、先延ばしに変わることもある

一方で、準備を大切にしたいからこそ、準備だけで終わらない工夫も必要です。調べるほど不安が増え、始める条件を増やしてしまうこともあります。

そこで、準備の終わりを小さく決めてみる。「必要な資料をそろえたら、最初の段落を書く」「質問を3つ考えたら、話を聞きに行く」。行動に接続するところまでを、ひとまとまりにします。

うまくいかなければ、準備に戻って直せばよい。最初から全部を見通せなくても、試したことで分かることがあります。準備と実行を行き来するほうが、机の上だけで完成を目指すより進みやすい場合もあるでしょう。

露伴の文章には、現代の私たちがそのまま受け入れにくい厳しい表現もあります。成果が出ない人を、努力不足だと判定するためには使いたくありません。環境や、本人には変えられない条件もあるからです。

そのうえで、自分が変えられる範囲に目を向けるなら、この1文は頼りになります。「もっと頑張れ」と言い足す前に、頑張りが届くための準備を見直せるからです。

今を生きる私たちへ

1つめ。止まった場所を記録する

進まなかった理由を性格だけで説明せず、資料不足、確認待ち、手順の迷いなどに分けてみます。次の準備が具体的になります。

2つめ。始める前に目的を1行書く

何ができたら一区切りなのかを言葉にします。大きな理想とは別に、今回の作業の終わりを決めます。

3つめ。準備にも終わりを置く

資料を集める量や時間の目安を決め、実際に取り組むところまで進めます。足りなければ、試した結果から補います。

4つめ。進んだ理由も残す

うまくいった日は、気分のよさだけで終えず、役立った準備を書いておきます。次に同じ条件をつくる手がかりになります。

おわりに

露伴の「準備の努力」という言葉は、目立たない時間にも名前を与えてくれます。

資料をそろえること。目的を短くすること。分からない点を先に聞くこと。そうした時間を、成果が出ていない時間と決めつけなくてよいのでしょう。

頑張りを増やす前に、その頑張りを支えるものを一つ整える。そこから、次の第一歩が軽くなるかもしれません。

次回は、過ごす場所そのものに目を向けた芸術家の言葉をたどります。

和綴じの本と硯、筆、文鎮がわりの小石。窓の外は明けはじめた山なみ(イメージ挿絵:和育道)
和綴じの本と硯、筆、文鎮がわりの小石。窓の外は明けはじめた山なみ(イメージ挿絵:和育道)

(この回を、今週の他の4人との共通点から振り返るまとめ記事はこちら:頑張りを成果につなげる、見えない準備――5人の歩みから、まず一つ整える)


この努力の見方を、もっと深く

幸田露伴という人を、もう少し近くで眺めたい方へ。

『努力論』(角川ソフィア文庫・幸田露伴) 本記事の出発点になった一冊。努力を直接と間接の両面から考えた、自序からの思索が読めます。

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人物プロフィール:幸田露伴(こうだ・ろはん)

1867年〜1947年。小説家・随筆家・考証家。江戸(現在の東京都)の生まれ。

『五重塔』『風流仏』などで知られ、尾崎紅葉と並んで「紅露時代」と呼ばれる明治文学の一時代を築いた。

1912年(大正元年)に刊行した『努力論』では、努力を「直接の努力」と「間接の努力」に分けて考えた。第1回文化勲章受章者の一人。

参考:青空文庫『努力論』

幸田露伴(1900年ごろ)。『努力論』を書いたのは、この十数年あとのこと(写真:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)
幸田露伴(1900年ごろ)。『努力論』を書いたのは、この十数年あとのこと(写真:Wikimedia Commons/パブリックドメイン)

露伴が歩いた場所

千葉県市川市菅野の「いちかわ文学の道」。露伴が晩年を過ごした町の並木道(写真:Wikimedia Commons/Otherde/CC BY 3.0)
千葉県市川市菅野の「いちかわ文学の道」。露伴が晩年を過ごした町の並木道(写真:Wikimedia Commons/Otherde/CC BY 3.0)
千葉県市川市・白幡天神社に建つ幸田露伴の文学碑。晩年を市川で過ごした(写真:Wikimedia Commons/Fumihiro Kato/CC BY 4.0)
千葉県市川市・白幡天神社に建つ幸田露伴の文学碑。晩年を市川で過ごした(写真:Wikimedia Commons/Fumihiro Kato/CC BY 4.0)
露伴が生まれた東京都(赤色)。下谷(現在の台東区)の生まれ(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
露伴が生まれた東京都(赤色)。下谷(現在の台東区)の生まれ(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
露伴が生まれた東京都台東区(赤色)。上野や浅草をふくむ、隅田川ぞいの下町(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
露伴が生まれた東京都台東区(赤色)。上野や浅草をふくむ、隅田川ぞいの下町(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
晩年を過ごした千葉県(赤色)。市川は東京湾に近い、県の北西の町(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
晩年を過ごした千葉県(赤色)。市川は東京湾に近い、県の北西の町(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
晩年を過ごした千葉県市川市(赤色)。江戸川をはさんで東京と向かい合う町(地図:Wikimedia Commons/Lincun・Knua/CC BY-SA 3.0)
晩年を過ごした千葉県市川市(赤色)。江戸川をはさんで東京と向かい合う町(地図:Wikimedia Commons/Lincun・Knua/CC BY-SA 3.0)

働き盛りの会社員 × バスケコーチ × 地域活動家

~すべては、愛から~

和を敬い × 人を育て × 道を歩む。

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