※本記事にはプロモーション(アフィリエイト広告)を含みます。

本日ご紹介するのは、日本のものづくりを世界の標準に変えた、一人の技術者です。
この人が現場で生んだ言葉は、いま英語圏の工場でも、翻訳されないまま使われています。
さて、どんな人だったのでしょうか。
同じミスが、また起きた。
前にも対策したはずなのに。注意もしたのに。しばらくすると、また同じことが繰り返される。
そのたびに、こう思ってしまいます。「なぜ、学習しないんだろう」と。
けれど――繰り返される原因は、人ではなく、対策の「浅さ」にあるのかもしれません。
そのことを、世界の製造業に教えた日本人がいます。
大野耐一(おおの たいいち)。トヨタ生産方式を作り上げた人物です。
翻訳されずに、世界へ広がった言葉
「カイゼン」「ジャストインタイム」「カンバン」「アンドン」
これらの日本語は、そのまま英語として、世界中の工場で使われています。訳す必要がないほど、この方式が世界の標準になったからです。
その体系を作り上げたのが、大野耐一でした。
以前ご紹介した豊田喜一郎が「ジャストインタイム」という構想を打ち出しました。その構想を、実際に機能する仕組みとして完成させたのが大野です。(豊田喜一郎「できないという前に、まずやってみろ」の記事はこちら)
構想を描いた人と、それを現実にした人。この二人がそろって、初めてトヨタは世界一になりました。
そして大野が遺したのは、生産管理の手法だけではありません。「どう考えるか」という思想そのものでした。
「ここに立って、じっと見ていろ」
大野の指導法は、独特でした。
問題が起きたとき、彼は報告書を読みませんでした。会議室で議論もしません。
必ず現場に行き、自分の目で見る。
これが「現地現物(げんちげんぶつ)」という考え方です。
有名な逸話があります。
大野は、若手社員を工場の床に描いた円の中に立たせ、こう言いました。
ここに立って、じっと見ていろ。
そして数時間後に戻ってきて、こう聞きます。
「何が見えた?」
若手が「特に問題はありませんでした」と答えると、大野は言いました。
見えていない。もう一度見てこい。
これが「大野の円(オオノ・サークル)」と呼ばれる指導法です。
なぜ、こんなことをさせたのでしょうか。
人は「見ている」つもりで、実は見ていないからです。
先入観を持って眺めていると、問題は目に入りません。じっと見続けて初めて、動きの無駄、待ち時間、不自然な動作が見えてくる。
これは、机の上の計画ではなく、自分の足で街を歩いて確かめた人の話とも重なります。本質は、現場にしかない。(ジェイン・ジェイコブズ「通りの目」の記事はこちら)
「なぜ」を、五回繰り返す
大野が徹底したもう一つの方法が、「なぜなぜ分析」です。
問題が起きたとき、「なぜ」を五回繰り返す。
大野自身が著書で挙げた、有名な例があります。
機械が止まった。なぜか?
ここまで掘り下げて、ようやく「ストレーナーを取り付ける」という真の対策にたどり着きます。
もし「なぜ」を一回で止めていたら、どうなっていたでしょう。
「ヒューズを交換する」で終わりです。そして数か月後、また同じ故障が起きる。
現象だけを見て対策を打つと、必ず同じ問題が繰り返される。
冒頭の「同じミスがまた起きた」も、これかもしれません。表面の現象に対策しただけで、原因の奥まで届いていなかった――。
正直に言えば、私にも覚えがあります。仕事で同じ手直しが何度も出るとき、たいていは原因の一段手前で止めています。「次から気をつけます」で終わらせた日は、必ずまた同じところでつまずく。
問題を、あえて見えるようにする
大野は、生産現場の「ムダ」を七つに分類しました。作りすぎ、手待ち、運搬、加工、在庫、動作、不良。
その中で彼が最も重大視したのが、「作りすぎのムダ」でした。
一見、たくさん作ることは良いことに思えます。
けれど作りすぎると、在庫が増える。置き場所が必要になる。管理の手間も、運搬も発生する。そして売れなければ、すべて無駄になる。
さらに恐ろしいのは――作りすぎが、他の問題を隠してしまうことです。
在庫がたっぷりあれば、機械が故障しても、誰かが休んでも、その場は困りません。
つまり、問題が表面化しない。改善のきっかけが失われてしまう。
だから大野は、あえて在庫を減らしました。問題が起きたら、すぐにラインが止まるようにしたのです。
問題を隠さず、あえて露出させる。
これが、改善が回り続ける仕組みでした。
知恵は、カネの代わりになる
大野耐一は、厳しい指導者として知られました。
けれどその根底には、人への深い信頼がありました。
大野の言葉として語り継がれているものに、こんな一言があります。
カネは知恵の代わりにはならないが、知恵はカネの代わりになる。
設備投資でカバーするのではなく、現場の知恵で解決する。そのために必要なのは、現場の人が自分で考えることでした。
そして大野は、作業者に「異常があればラインを止める権限」を与えました。
これは当時、極めて異例です。ラインを止めることは、大きな損失を意味するからです。
それでも彼は、現場の判断を信じました。問題があるのに動かし続けるほうが、はるかに大きな損失を生む、と。
権限を与えられた作業者は、責任感を持って働くようになりました。そして、自ら改善提案を出すようになった。
信じて任せることで、人は力を発揮する。
「人は、信じてもらえると伸びる」と説いた経営者も、日本にいました。(松下幸之助の記事はこちら)
今を生きる私たちへ
大野の思想は、工場だけの話ではありません。あらゆる仕事に、そのまま使えます。
報告ではなく、自分の目で見る。 伝聞や書類だけで判断すると、大事なことを見落とします。現場に立つ。実物を見る。それだけで、判断の質が変わります。
「なぜ」を、もう一段だけ深く。 五回は難しくても、あと一回。それだけで、対策の質はまったく変わります。同じ問題が繰り返されるなら、原因まで届いていないサインです。
余裕がありすぎると、問題は見えなくなる。 在庫も、時間も、人も。余りすぎていると、問題が隠れます。適度な緊張感が、改善のきっかけを生みます。
任せて、権限を渡す。 「止めていい」と言われた人は、責任を持って考え始めます。信じて任せることが、人を育てる最短の道です。
おわりに
大野が確立したトヨタ生産方式は、今や製造業を超えて、医療、物流、ソフトウェア開発にまで応用されています。
けれど大野自身は、形だけを真似ることを繰り返し戒めていました。大切なのは手順ではなく、その奥にある考え方だ、と。
自分たちの現場を、自分たちの目で見て、自分たちで考える。その姿勢がなければ、どんな仕組みも動かない。
彼が現場の人たちに言い続けたのは、たった一言だったといわれます。
考えろ。
彼が本当に作りたかったのは、効率的な工場ではありませんでした。
考える人を育てることだったのです。
自分の目で見て、自分の頭で考える。
一見、遠回りに思えるこの姿勢が、実は最も確実に、問題の繰り返しを断ち切ってくれます。
今日、何か問題が起きたら。
報告を聞く前に、まず自分の目で見に行ってみませんか。
そして「なぜ」を、もう一段だけ深く掘ってみる。
その一手間が、同じ苦労を繰り返さない未来を作ります。
(大野の「人ではなく仕組みを直す」を、他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――「頑張れ」と言わなかった彼らが、代わりに変えたもの)
(「現地現物」で奥を見るという姿勢は、四百年前の「観の目つよく、見の目よわく」と重なります。宮本武蔵「常の身」――六十戦無敗の男が、自分の勝ちを疑ったも、あわせてどうぞ。)
(20年以上を現場で勤め上げてから思想を組み上げた人が、江戸にもいました。石田梅岩「先も立ち、我も立つ」――商いに、道を通した男も、あわせてどうぞ。)
(「なぜ」を五回くり返す姿勢を、真珠の養殖で17年続けた人がいます。御木本幸吉「17年、海に沈め続けた」――3年で「向いていない」と決めていないか)
この人物を、もっと知りたい方へ
大野耐一の『トヨタ生産方式』は、経営書の古典として、世界中で読み継がれている一冊です。
「なぜを五回」「現地現物」「七つのムダ」。すべてが、現場の苦闘から生まれた実践の記録です。製造業でなくても、仕事の進め方を見直したい人には、驚くほど具体的なヒントが見つかります。
形だけ真似ても意味がない、大切なのは考え方だ――その言葉の意味を知った今なら、一行一行の重みが違って感じられるはずです。
『トヨタ生産方式――脱規模の経営をめざして』(ダイヤモンド社・大野耐一)
人物プロフィール:大野耐一
経歴・功績
ひとことで:報告書ではなく現場に立ち、「なぜ」を五回掘り下げることを徹底し、効率的な工場ではなく「自分で考える人」を育てようとした技術者。
(同じ時代に、自分が現場に立ち続けたもう一人の経営者がいます。土光敏夫「私はそれ以上に働く」――上にいくほど、重くする)
