和育道〜wa-iku〜
道の章

西郷さいごう隆盛たかもり「敬天愛人」――人の目が気になって、疲れていませんか

Takamori Saigo — Samurai and statesman from Satsuma, Japan (1828–1877) Read in English ↓

人の目が気になって疲れていませんか。明治維新の功労者でありながら敗者として死んだ西郷隆盛。その「敬天愛人」=人の評価でなく天に恥じない生き方に学ぶ、揺るがない心の作り方。

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桜島を望む高台に、犬を連れて立つ西郷隆盛(イメージ挿絵:和育道)
桜島を望む高台に、犬を連れて立つ西郷隆盛(イメージ挿絵:和育道)

「あの人に、どう思われているだろう」

会議で意見を言うとき。SNSに投稿するとき。仕事の成果を出したとき。私たちは、いつも誰かの視線を気にしています。

褒められたい。認められたい。悪く思われたくない。

その気持ちが強くなるほど、行動は少しずつ歪んでいきます。本当はこうしたいのに、周りに合わせてしまう。正しいと思うのに、立場を守って口をつぐんでしまう。

そして、じわじわと疲れていく。

もし――「人の目」ではなく、もっと別のものを基準に生きられたら、どうでしょうか。

そんな生き方を、命がけで貫いた日本人がいます。西郷隆盛です。

「人を相手にせず、天を相手にせよ」

西郷が遺した言葉の中で、最も有名なものの一つが、これです。

「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」

人の評価を気にするのではなく、天に恥じない生き方をしなさい。天を基準に、自分の力を尽くしなさい。そして、うまくいかなくても人を責めず、「自分の誠が足りなかったのではないか」と省みなさい――。

厳しい言葉です。けれど、同時に、驚くほど自由な生き方でもあります。

人の評価を基準にすると、私たちは他人に振り回されます。褒められれば舞い上がり、けなされれば落ち込む。心が、いつも他人の手の中にある。

けれど「天」を基準にすれば――誰も見ていなくても、正しいことをする。評価されなくても、誠を尽くす。うまくいかなければ、人ではなく自分を省みる。

この生き方ができる人は、揺るぎません。他人の評価に一喜一憂せず、自分の信じる道を、まっすぐ歩いていけるのです。

「敬天愛人」――天を敬い、人を愛す

その生き方を一言で表したのが、西郷の座右の銘、「敬天愛人(けいてんあいじん)」です。

彼は、こう説明しています。

正しい生き方の道とは、天が定めた自然の理である。だから人は、天を敬って生きるべきだ。そして天は、他人も自分も、まったく同じように愛している。だから、自分を愛する心と同じ心で、人を愛しなさい――と。

ここには、二つの教えが重なっています。

一つは、天を基準にすること。人の評価や損得ではなく、天に恥じない行いを選ぶ。

もう一つは、人を愛すること。天が自分と他人を等しく愛するのなら、自分を大切にするのと同じように、他人も大切にする。

「天に恥じない」という厳しさと、「人を愛する」というあたたかさ。この二つが同居しているところに、西郷という人物の深さがあります。

「命もいらず、名もいらず」

西郷は、こんな言葉も遺しています。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

命も、名誉も、地位も、金もいらないという人間は、扱いにくくて始末に困る。けれど――そういう人間でなければ、困難を共にして大事業を成し遂げることはできない。

なぜ「命もいらず、名もいらず」なのでしょうか。

それは、失うものを恐れる心が、判断を曇らせるからです。

「これを言ったら、自分の立場が危うくなる」 「これをやったら、損をするかもしれない」

こうした計算が入った瞬間、人は保身に走ります。けれど、失うものを恐れない人間だけが、純粋に「何が正しいか」だけで判断できる。

西郷は、まさにそういう人でした。だからこそ多くの人が彼を信じ、命を預けてついていったのです。

最期まで、筋を通した人

西郷隆盛は、明治維新の最大の功労者の一人でありながら、最後は政府と袂を分かち、西南戦争に敗れて、自ら命を絶ちました。

損得で言えば、愚かな選択でした。政府に残っていれば、地位も名誉も約束されていたはずです。

それでも彼は、自分を慕って集まった不平士族たちを、見捨てることができなかった。勝ち目のない戦いと知りながら、彼らと運命を共にする道を選んだのです。

「人を愛する」という自らの信条に、最期まで忠実だった。

だからこそ――彼を敵として討った政府の側でさえ、後に彼の名誉を回復させ、上野には彼の銅像が建てられました。150年を経た今も、彼は多くの日本人に愛され続けています。

人は、賢く立ち回る人間より、不器用でも筋を通す人間に、心を打たれるのです。

今を生きる私たちへ

西郷の哲学は、150年前の英雄譚ではありません。人の目に疲れた私たちに、そのまま効きます。

「見られているか」ではなく「正しいか」で決める。 誰も見ていない場所でこそ、手を抜かない。その積み重ねが、他人の評価では揺るがない、本当の自信を作ります。

(この「誰も見ていなくても手を抜かない」という心は、「当たり前」を、誰にもまねできないほど――鍵山秀三郎に学ぶ、凡事徹底の力で書いた、鍵山さんの生き方とまっすぐ重なります。)

うまくいかないとき、まず自分を省みる。 つい環境や他人のせいにしたくなるとき、「自分の誠は足りていたか」と一度問う。他責は楽ですが、自省だけが人を前に進めます。

(「変えられないもの」に心を乱されず、「変えられること」に力を尽くす――この姿勢は、「変えられないこと」に、悩みすぎていませんか――ニーバーの祈りに学ぶ、心の平穏とも深く通じます。)

「損か得か」より前に、「これは正しいか」と問う。 すべてを捨てる必要はありません。ただ、迷ったときの判断軸を、損得より一つ上に置く。それだけで、生き方の背骨が通ります。

自分を大切にするのと同じ心で、人を大切にする。 「敬天愛人」の"愛人"は、自己犠牲ではありません。自分も他人も等しく大切にする、という健やかな態度です。

人の目を基準にすると、心は他人の手の中に置かれたままです。けれど、もっと高いところに基準を置いた人は、静かに、強く、自由になれます。

おわりに

西郷隆盛は、勝者としてではなく、敗者として世を去りました。

けれど、彼の名は消えませんでした。それは、彼が最期まで「筋」を貫いたからです。

人の評価ではなく、天に恥じない生き方を。損得ではなく、正しさを。そして、自分を愛するのと同じ心で、人を愛することを。

彼の生き方は、150年の時を超えて、私たちに静かに問いかけてきます。

「あなたは今、誰を相手に生きていますか?」

人の目でしょうか。それとも、天でしょうか。

その問いを胸に置くだけで、今日一日の選択が、少しだけ変わるかもしれません。

(西郷の生き方を、他の4賢者との"共通点"から振り返るまとめ記事歴史に名を残す人と、忘れられる人の違いは、たった一つだったも書きました。)

「人の評価ではなく、天に恥じないか」という生き方は、江戸の商人たちにもありました。近江商人「三方よし」では、名を刻まずに善を行う「陰徳善事」の心を紹介しています。


この人物を、もっと知りたい方へ

西郷隆盛の言葉は、『西郷南洲遺訓(さいごうなんしゅういくん)』という一冊にまとめられています。

驚くのは、この本を編んだのが、かつて西郷と敵味方に分かれて戦った旧庄内藩の人々だったということ。敗れた側の人々が、その人柄と教えに深く感服し、その言葉を後世に残そうとしたのです。それ自体が、西郷という人物の何よりの証明かもしれません。

現代語訳の読みやすい版も多く出ています。彼がどんな最期を選んだかを知った今なら、一つひとつの言葉が、より深く胸に響くはずです。

『新版 南洲翁遺訓 ビギナーズ日本の思想』(角川ソフィア文庫・猪飼隆明 訳注) 西郷の遺訓を、原文+現代語訳+解説で読める入門書。大きな文字・振り仮名つきで、はじめの一冊にちょうどよい構成です。

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人物プロフィール:西郷隆盛

氏名:西郷隆盛(さいごう たかもり)/号は南洲(なんしゅう) 生没年:1828年(文政10年)― 1877年(明治10年)/薩摩国鹿児島(現・鹿児島県)生まれ 分野:武士・政治家・軍人 異名:「西郷どん(せごどん)」「大西郷」

経歴・功績

  • 薩摩藩の下級武士の家に生まれる。藩主・島津斉彬に見出され、その側近として活躍した。
  • 斉彬の死後は失脚し、二度にわたり奄美・沖永良部島などへ流された。この島での苦難の日々が、彼の思想を深めたと言われる。
  • 復帰後は薩摩藩を代表する人物となり、坂本龍馬らの仲介で薩長同盟を成立させ、倒幕運動の中心を担った。
  • 戊辰戦争では新政府軍を率い、勝海舟との会談によって江戸城の無血開城を実現。江戸を戦火から救った。
  • 維新後は明治新政府の要職に就くが、征韓論をめぐる対立で政府を去り、鹿児島へ帰郷。私学校を開いて若者を育てた。
  • 1877年、不平士族に擁されて西南戦争を起こすが敗北。城山で自刃した。享年49。
  • 死後、その名誉は回復され、1898年には東京・上野公園に銅像が建立された。
  • 座右の銘は「敬天愛人」。その言葉は、かつて敵対した旧庄内藩の人々の手によって『西郷南洲遺訓』としてまとめられ、今日に伝わっている。
  • ひとことで:人の評価や損得ではなく「天に恥じないか」を基準に生き、最期は勝ち目のない戦いに身を投じてまで、自分を慕う者たちへの情を貫いた人物。

    参考:ウィキペディア「西郷隆盛」

    ENGLISH SUMMARY

    Takamori Saigo — Samurai and statesman from Satsuma, Japan (1828–1877)

    “Do not deal with people; deal with Heaven. Deal with Heaven, do your utmost, and do not blame others — ask instead where your own sincerity fell short.”

    — Nanshu-o Ikun, the recorded teachings of Saigo / English translation by WA-IKU

    His hometown: Kagoshima

    He was exiled twice and still returned to lead the men who ended the shogunate.

    He measured himself against Heaven rather than against the opinion of others.

    His words survive as Keiten Aijin: revere Heaven, love people.

    働き盛りの会社員 × バスケコーチ × 地域活動家

    ~すべては、愛から~

    和を敬い × 人を育て × 道を歩む。

    和育道~wa-iku~

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