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衣替えで手に取った布から、作った人や土地へ思いが向くことがあります。白洲正子の道草を手がかりに、身近な地域を見る目を少し変えてみます。
知っている町を、見ているだろうか
毎日通る道には、見慣れた店や建物があります。けれど、そこにどんな人がいて、何を大切に続けてきたのかとなると、意外に知らないことがあるものです。
10月の衣替えをきっかけに、身の回りの布や器を眺め直してみる。その先にある人の仕事まで気になったとき、いつもの町も少し違って見えるかもしれません。白洲正子は、物や土地を自分の目と足で確かめ続けた人でした。
能舞台に立った少女は、「韋駄天お正」になった
白洲正子は1910年、東京・永田町に生まれました。父は実業家の樺山愛輔です。4歳から梅若家で能を習い、当時は女性が上がれないとされていた能舞台に、女性として初めて立ちました。出典:デジタル大辞泉・20世紀日本人名事典(コトバンク)
14歳で父に従ってアメリカへ渡り、19歳で白洲次郎と結婚します。戦後は、小林秀雄や青山二郎らの集まりに加わり、文学と骨董の目を鍛えていきました。出典:20世紀日本人名事典(コトバンク)
その青山二郎がつけたあだ名が「韋駄天お正」です。韋駄天は、足の速さで知られる仏法の守り神。気になる物や土地があれば、朝から夜遅くまで自分の足で駆け回る。その行動力を見て、青山はそう呼んだといいます。出典:百科事典マイペディア(コトバンク)・武相荘「白洲正子」
50代からは、人のあまり訪れない山里の寺や社を訪ね歩き、紀行『かくれ里』にまとめました。この本と『能面』で、読売文学賞を2度受けています。本で読んだだけで分かったことにせず、現地へ行って自分の目で確かめる。白洲の文章の確かさは、その足取りから生まれています。出典:20世紀日本人名事典(コトバンク)・武相荘「白洲正子」
分かったつもりで、通り過ぎない
白洲が書き続けたのは、美術や工芸、土地の歴史でした。染織工芸の店を営んだ時期もあり、その場から作家が育ったことが、旧宅の公式紹介に記されています。武相荘・白洲正子の生涯と工芸の店 布や器は、鑑賞する対象であると同時に、作り手や使い手との関係を生むものでもあったのでしょう。
白洲と旅をした青柳恵介は、彼女がよく口にした言葉として、こう回想しています。
「私は道草が好きなのだ」
――青柳恵介の回想に記された白洲正子の言葉。青柳恵介・白洲正子の道草(文春オンライン)
これは本人の著書から直接引いた一文ではありません。共に歩いた人の記憶として、出典の性格も含めて受け取ります。
青柳の文章から見えてくるのは、同じ物や場所にも繰り返し近づき、時間をかけて見えてくるものを待つ姿勢です。最初の印象で分かったことにせず、もう一度行き、もう一度付き合ってみる。その積み重ねが、紀行や随筆の奥行きになっていきました。青柳恵介・白洲正子の流儀(文藝春秋)
通り慣れた町にも、まだ知らない顔がある
白洲が山里へ通ったのは、名所の数を増やすためではありませんでした。人のあまり訪れない場所に、長く守られてきた物や祈りがある。それを確かめに、同じ土地へも何度でも足を運んだのです。
私たちも、近所の店や毎日会う人のことを「もう知っている」と思いがちです。白洲のように一度、自分の足で近づいて話を聞いてみる。なぜそのやり方を続けているのか、どこに手間がかかるのか。それだけで、通り慣れた町にも、まだ知らない顔が見えてきます。
今を生きる私たちへ
1つめ。いつもの道で1か所立ち止まる
通り過ぎていた場所を、邪魔にならない範囲で見てみる。営業中の店なら、関心を持った物について短く尋ねるのも入口になります。
たとえば、帰り道にいつも通り過ぎる小さな社があるなら、一度だけ門の前で足を止めてみる。由来の看板を読むだけで、その道は「通る道」から「知っている道」に変わります。
2つめ。作った人や直す人を知る
布や器を選ぶとき、どんな手仕事があるかに目を向ける。高価な物を買うことより、背景を知ることから始められます。
たとえば、器が欠けたときに買い替える前に、直せる店があるかを調べてみる。誰がどう直すのかを知ると、同じ器の見え方が変わります。
3つめ。人への決めつけを着替える
いつもの役割と違う話を聞いてみる。得意なことだけでなく、興味があることや、今は引き受けにくいことにも耳を傾けます。
たとえば、いつも段取りを任せている人に、休みの日は何をしているのかを聞いてみる。その人のいちばんの得意は、こちらが割り当てた役割の外にあることが多いです。
4つめ。同じ場所へ、もう一度行く
新しい場所の数を増やすだけでなく、以前訪ねた場所に戻る。季節や自分の変化によって、前には見えなかったことに出会えます。
たとえば、春に行った場所へ、秋にもう一度行ってみる。同じ景色なのに違って見えたなら、変わったのは景色ではなく自分のほうです。
おわりに
切り替えるために、遠くへ行く必要はありません。
いつもの道、使っている器、よく会う人。その前で少し足を止めるだけで、見え方は変わります。白洲正子が道草で見つけたのも、そういう近さにあるものでした。
知っているつもりの世界と、もう一度付き合ってみる。衣替えのついでにできる、いちばん小さな旅です。
次回は、この週の5人をまとめて振り返りながら、季節と自分の切り替えを考えます。
あわせてどうぞ:昨日の岡倉天心『茶の本』――いつもの1杯で、暮らしの見え方を変える。

この人物を、もっと知りたい方へ
白洲正子のきもの(白洲正子ほか著、新潮社) 白洲正子が愛用したきものを、写真とともにたどる本です。
白洲正子自伝(白洲正子著、新潮社) 生い立ちから、ものを見る目が育つまでを本人がつづった自伝です。
白洲正子“ほんもの”の生活(白洲正子ほか著、新潮社) 武相荘での暮らしぶりや、手元に置いた器や道具を紹介する本です。
人物プロフィール
白洲正子(1910–1998)
随筆家。能、古美術、工芸、土地の信仰や歴史を、自ら歩き、見て、文章にした。『かくれ里』などで知られる。ひとことで:見慣れたものの奥へ、足を運び続けた人。
ゆかりの地
白洲正子が暮らし、思索と執筆を重ねた鶴川の住まい。









