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育の章

「和して同ぜず」――孔子の生涯が教える、信念を曲げない生き方

信念を曲げずに乱世を生きた孔子。「和して同ぜず」を格言ではなく一人の人間の生き方から見つめ、違いを保ったまま調和する生き方を考える。

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会議で、全員がうなずいている。

でも、自分だけ、どこか引っかかっている。

ここで手を挙げれば、空気が変わる。波風が立つ。だから――黙ってうなずいておく。その場は、丸くおさまる。

きっと、誰もが一度は経験のある場面だと思います。

周りに合わせていれば、波風は立たない。でも、ふとこう思うことはありませんか。

「これで、本当にいいのか」と。

今からおよそ2500年前、まさにこの問いに、人生のすべてを懸けて答えた人がいました。「和して同ぜず」という言葉を遺した、孔子です。

今日はこの言葉を、格言としてではなく、孔子という一人の人間が、どう生きたかから見ていきます。

この言葉を遺したのは、どんな人だったのか

孔子(こうし)、本名を孔丘(こうきゅう)。中国の春秋時代――各地の国が争い、それまでの秩序が崩れていく乱世を生きた人です。

意外に思われるかもしれませんが、彼は恵まれた生まれではありませんでした。

幼くして父を亡くし、貧しい中で育ちます。若い頃は倉庫の管理や家畜の世話といった下働きから始めた、と伝えられています。名門の血を引きながらも家は没落していて、エリートとして用意された道を歩いたわけではない。学問も礼儀作法も、ほとんど独学で身につけた。下から一段ずつ積み上げて、ようやく「学のある人」として知られるようになった人なのです。

信念を貫いて、すべてを失った人

孔子は故郷の魯(ろ)の国で要職にまで就きます。しかし、政治の駆け引きの中で退けられてしまう。

そして55歳のころ、故郷を離れます。ここからの約14年間、彼は諸国を放浪しました。自分の理想を受け入れてくれる君主を探して、国から国へ。けれど――どこへ行っても、受け入れられなかった。陳(ちん)と蔡(さい)の国の間では、食糧も尽き、弟子たちともども飢えに苦しんだと伝えられます(陳蔡の厄)。

ここで考えてみてください。

権力者に少し媚びれば、職も、安定した暮らしも手に入ったはずです。理想を少し引っ込めて「合わせて」しまえば、楽になれた。でも彼は、それをしなかった。

安易に同調して生き延びる道を、孔子は選ばなかったのです。これこそが「同ぜず」――周りに流されて、自分を消すことを拒んだ生き方でした。

それでも砕けなかった「和」

ただし孔子は、頑固に人を遠ざける人ではありませんでした。

放浪の苦しい日々も、彼は弟子たちと共にあり続けた。考えの違う相手とも、議論を交わし続けた。同調はしないが、人を拒みもしない。これが「同」ではなく「」です。

彼の人生には、深い悲しみもありました。最愛の弟子・顔回(がんかい)に先立たれたとき、孔子は「天、予(われ)を喪(ほろ)せり――天が、私を見捨てた」と声をあげて泣いたと言われます。我が子にも、先立たれています。

それでも彼は折れなかった。68歳ごろに故郷へ帰り、晩年は弟子の教育と、古い書物の整理に静かに力を注ぎました。そして72歳ほどで世を去ります。自分の思想は、ついに世に容れられないまま――敗者として。

言葉だけが、どんな王より長く生きた

ここからが、この物語のいちばん不思議なところです。

孔子を退けた王たちの名前を、今ではほとんど誰も覚えていません。けれど、彼の言葉は違いました。弟子たちが、師の語った言葉を『論語』としてまとめた。その言葉は2500年を生き延び、やがて東アジア全体の精神の土台になっていきます。

生前にはまったく報われなかった一人の人間の言葉が、今も世界の何億という人を導いている。「和して同ぜず」は、机上の教訓ではありません。一人の人間が、自分の人生のすべてを懸けて証明してみせた、一つの生き方だったのです。

今を生きる私たちへ

孔子の生き方は、2500年前の特別な話ではありません。私たちの毎日の、すぐそこにあります。

たとえば、こんな場面です。

会議で、全員が賛成している。でも自分だけ違和感がある。 言えば空気が悪くなる気がして、結局うなずいてしまう。

SNSで、流れてくる意見にとりあえず「いいね」を押す。 本当はそう思っていないのに、波風を立てたくなくて。

友人や家族との会話で、違う考えを飲み込む。 「ここで言っても面倒になるだけ」と、自分の本音にそっと蓋をする。

どれも、その場は丸くおさまります。でも、こうして自分を消し続けることを、孔子は「」と呼びました。安心ではあるけれど、そこからは何も新しいものは生まれない。

では「」はどうか。

それは、違う意見を、対立ではなく贈り物として受け取ることです。「なるほど、そういう見方もあるのか」と一度受け止める。そのうえで、自分の考えも、敬意をもって差し出す。相手を打ち負かすためでも、相手に合わせて消えるためでもなく、二人だからこそ、より良い答えを一緒に見つけるために。

オーケストラを思い浮かべてください。バイオリンもトランペットも、まったく違う音を出します。でも、その違う音が重なったとき、一つの美しい音楽が生まれる。全員が同じ音だったら、それは音楽になりません。

違いがあるからこそ、調和が生まれる。これが「和」の本質です。

そして面白いことに、この東洋の知恵は現代の研究でも裏づけられています。「優秀だが似た者ばかりの集団」より「能力は普通でも視点が多様な集団」のほうが、難しい問題を解く力が高い――そんな結果が、いくつもの研究で示されているのです。2500年前の孔子の言葉を、現代の科学が「正しかった」と証明している。

おわりに

周りに合わせるだけなら、楽です。

でも、合わせるだけの集団は、強くなりません。同じ音しか出さないオーケストラが音楽にならないのと同じで、違いを失った場所は、力を失っていきます。

違いを保ったまま、それでもひとつにまとまる。

孔子が、放浪の14年と、報われなかった生涯を通して示したのは、まさにそれでした。

周りに同調してしまいそうになったとき。自分を消して、その場をやり過ごしたくなったとき。2500年前を生きた一人の人間の、折れなかった背中を思い出したいと思うのです。

(「違うものが混ざっているから強い」を、20世紀の街づくりで証明した人がいます。一人の住民が、巨大な計画を止めた――ジェイン・ジェイコブズ「通りの目」の話も、あわせてどうぞ。)


この言葉の源へ ―― 『論語』

「和して同ぜず」が収められた、孔子と弟子たちの対話の記録です。

現代語訳の入門書から読み始めると、2500年前の言葉が驚くほど今の自分に響いてきます。彼がどんな人生の中でこの言葉を遺したかを知った今なら、一つひとつの言葉の重みが、きっと違って感じられるはずです。

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