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本日ご紹介するのは、一夜の判断で村人の命を救い、そのあと4年かけて村そのものを救った人です。
有名なのは、一夜のほうです。けれど本当の仕事は、翌日から始まりました。
さて、どんな人だったのでしょうか。
今週はここまで、四人を見てきました。
小林一三は乗る人が住む町を作り、川淵三郎はクラブを町のものにし、宮沢賢治は田んぼに降りていき、御木本幸吉は海の色を変えました。
今日は、その極点です。
稲むらに、火を放った
濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)。1820年に生まれ、1885年に亡くなりました(65歳没)。紀州広村——いまの和歌山県広川町の生まれで、醤油醸造業の七代目当主です。
千葉の銚子で家業を営みながら、生まれ故郷の広村にもたびたび戻っていました。
そして1854年11月5日。安政南海地震が起こります。
夕暮れ時でした。激しい揺れのあと、海が異様に引いた。
梧陵は、それが何を意味するか知っていました。津波が来る。
しかし、村人には伝わりません。日は暮れかけ、あたりは暗い。高台への道が見えない。
叫んでも、村中に届く声にはなりません。
そこで彼が取った行動が、のちに世界に知られることになります。
収穫したばかりの稲むらに、火を放ったのです。
自分の田の、その年の米です。売れば大金になる。
それを、松明にした。
暗闇に燃え上がる火を見て、村人たちは高台へ駆け上がりました。
火は、道しるべであり、非常事態を告げる合図でもありました。
この話はのちに小泉八雲によって英語で紹介され、やがて『稲むらの火』として日本の教科書に載ります。
そして現在、11月5日は国連が定めた「世界津波の日」になっています。
一人の判断が、170年後の国際的な記念日になっているのです。
本当の仕事は、翌日から
けれど、今日お伝えしたいのはここから先です。
火の話は、一夜の英断です。劇的で、分かりやすい。
梧陵の本当の仕事は、翌日から始まりました。
津波は去りました。村人の命は助かった。
しかし、村は壊滅しています。家がない。田がない。仕事がない。
こうなると、何が起きるか。
人が、村から出ていきます。
生きるために、他所へ移らざるを得ない。そして二度と戻らない。
津波で死ななかった村が、そのあと静かに消えていく。
梧陵が最も恐れたのは、そちらでした。
4年分の仕事を、作った
そこで彼が始めたのが、広村堤防の建設です。
私財を投じ、高さおよそ5メートル、全長600メートルを超える大堤防を築く工事を始めました。
期間は4年。延べ5万7千人を雇用したと伝えられています。
ここが核心だと思います。
彼は堤防を「作った」のではありません。
村人に、4年分の仕事を作ったのです。
賃金が支払われる。村にとどまれる。食べていける。
そして4年後、村には堤防が残り、人も残っていた。
防災と、雇用と、定住を、ひとつの事業でやってのけた。
92年後に、効いた
物語には、続きがあります。
1946年12月21日、昭和南海地震が発生。再び、広村に津波が押し寄せました。
そして、梧陵が築いた堤防が村を守りました。
築堤から、実に92年後です。
梧陵は、当然この日を見ていません。1885年に亡くなっています。
水曜の賢治と同じです。自分では、見届けられない。
それでも、残るものは残る。
先週の上杉鷹山「伝国の辞」を思い出します。自分が去ったあとに効き続けるものを、先に置いていった人たちです。
おわりに
今日から持ち帰れることを、三つだけ。
1つめ。派手な一夜より、地味な4年のほうを見ること。
稲むらの火は語り継がれますが、村を残したのは堤防のほうです。人の目につく仕事と、効く仕事は、たいてい別です。
2つめ。助けるとき、仕事の形で助けられないか考えること。
お金を配るのではなく、働く場を作った。だから人が残りました。
3つめ。自分の代で結果が出なくても、置いていくこと。
92年後に効いた堤防があります。いま自分がやっていることは、何年後に効くでしょうか。
——あなたの周りで「一夜の英断」ばかりが語られて、そのあとの4年が忘れられている仕事は、ないでしょうか。
(梧陵の「そのあとの4年」を、今週の他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――その一人は、たいてい無名だった)
この仕事を、もっと深く
梧陵の4年に、もう少し近づきたい方へ。三冊、置いておきます。
『津波とたたかった人 浜口梧陵伝』(新日本出版社・戸石四郎) 稲むらの火のあと、堤防事業と明治期の公職まで追った評伝。「翌日からの仕事」が中心に書かれています。
『津波!!命を救った稲むらの火』(汐文社・ラフカディオ・ハーン/高村忠範) 小泉八雲が英語で世界に伝えた物語を、絵本の形で。子どもと一緒に読める防災の一冊です。
『小説 上杉鷹山 全一冊』(集英社文庫・童門冬二) 自分が去ったあとに残るものを置いていった、もう一人の話。伝国の辞の回と並べてどうぞ。
人物プロフィール:濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)
1820年〜1885年。実業家・社会事業家。紀伊国有田郡広村(現在の和歌山県広川町)生まれ。醤油醸造業の七代目当主として、千葉の銚子で家業を営んだ。
1854年11月5日の安政南海地震の際、津波の襲来を察知し、暗闇のなかで高台への道を示すため、収穫したばかりの稲むらに火を放って村人を避難させた。この逸話は小泉八雲によって英語で紹介され、『稲むらの火』として広く知られる。
津波のあとは私財を投じて広村堤防を建設。高さ約5メートル、全長600メートルを超える工事を4年かけて行い、延べ5万7千人を雇用したと伝えられる。村人に仕事を与えることで、被災後の人口流出を防いだ。
この堤防は92年後の1946年、昭和南海地震の津波から村を守った。11月5日は現在、国連が定める「世界津波の日」となっている。1885年、65歳で死去。
