和育道〜wa-iku〜

賢者名鑑 / 日本

濱口梧陵

はまぐち ごりょう

1820年 — 1885年|紀伊国有田郡広村(現在の和歌山県広川町)

稲むらに火を放ち、4年かけて堤防を築く ── 語られない、そのあとの仕事

濱口梧陵の記事の挿絵
暗闇に燃える稲むら。火は目印になり、そのあと4年の仕事が始まった(挿絵:和育道)

どんな人か

「稲むらの火」の逸話で知られる実業家・社会事業家です。1854年の安政南海地震のとき、暗闇で高台への道を示すため、収穫したばかりの稲むらに火を放って村人を避難させました。

しかし本当の仕事は、そのあとでした。津波のあと、私財を投じて4年かけて堤防を築いたのです。その堤防は92年後、村を守りました。

基本データ

生まれ
1820年出典3
没
1885年出典365歳で死去
生まれた地
紀伊国有田郡広村(現在の和歌山県広川町)出典3
分野
実業家・社会事業家出典3醤油醸造業の七代目当主として、千葉の銚子で家業を営んだ
稲むらの火
1854年11月5日の安政南海地震の際、稲むらに火を放って村人を避難させた出典3この逸話は小泉八雲によって英語で紹介され、『稲むらの火』として広く知られる
広村堤防
私財を投じ、高さ約5メートル・全長600メートルを超える堤防を4年かけて築いた出典3延べ5万7千人を雇用したと伝えられる。村人に仕事を与えることで、被災後の人口流出を防いだ
92年後
1946年の昭和南海地震の津波から、この堤防が村を守った出典3
世界津波の日
11月5日は現在、国連が定める「世界津波の日」となっている出典3

語られない、そのあとの仕事

1854年11月5日、安政南海地震。津波の襲来を察知した梧陵は、暗闇のなかで高台への道を示すため、収穫したばかりの稲むらに火を放ちました。村人はその火を目印に避難します。この逸話は小泉八雲によって英語で紹介され、『稲むらの火』として広く知られるようになりました。

語られるのは、たいていここまでです。けれど彼の仕事は、ここからでした。

津波のあと、彼は私財を投じて広村堤防の建設を始めます。高さ約5メートル、全長600メートルを超える工事。かかった年月は4年、雇用した人数は延べ5万7千人と伝えられます。

なぜそこまでしたのか。堤防を作るためだけではありませんでした。村人に仕事を与えることで、被災後の人口流出を防いだのです。村を守る壁を作りながら、村から人が出ていくのも防いだ。

そしてこの堤防は、92年後の1946年、昭和南海地震の津波から村を守りました。彼はもう、この世にいません。11月5日は現在、国連が定める「世界津波の日」となっています。

ゆかりの地

1820

和歌山県広川町(旧・紀伊国有田郡広村)出典3

生誕の地であり、稲むらに火を放ち、4年かけて堤防を築いた地。堤防はいまも残る。

—

銚子(千葉県)出典3

醤油醸造業の家業を営んだ地。

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出典

  1. ウィキペディア「濱口梧陵」
  2. 和育道「濱口梧陵「稲むらに火を放ち、4年かけて堤防を築いた」――語られない、そのあとの仕事」(記事本文の表記に準拠)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。