和育道〜wa-iku〜
道の章

空海くうかい「物の興廃は必ず人に由る」――教えてくれた人に、何を返せるだろう

Kukai — Buddhist monk, writer and educator in Japan (774–835) Read in English ↓

敬老の日に、教えてもらったことの行き先を考えてみませんか。空海が取り組んだ学びの場づくりから、感謝を次につなぐ方法をたどります。

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朝の光が差す学びの場。手前で筆を執る僧の奥で、学ぶ人が机に向かっている(イメージ挿絵:和育道)
朝の光が差す学びの場。手前で筆を執る僧の奥で、学ぶ人が机に向かっている(イメージ挿絵:和育道)

敬老の日に、教えてもらったことの行き先を考えてみませんか。空海が取り組んだ学びの場づくりから、感謝を次につなぐ方法をたどります。

知っている人がいるだけでは、知恵は残らない

仕事を覚えたとき、説明書だけでは分からなかったことがある。道具を置く順番、言葉をかける間合い、失敗しかけたときに気づく小さな兆し。そんな知恵は、誰かが手を止めて教えてくれたから、自分のものになったのかもしれません。

9月21日は敬老の日です。長く働き、暮らしを支えてきた人を敬う日に、目に見える成果の奥にある、教えるための時間にも目を向けてみたいと思います。

学びの場には、人も資金も必要だった

空海は828年、幅広い人が学べる場として綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を設けました。その趣意を述べる文章に、次の言葉があります。

「物の興廃は必ず人に由る」

――『綜芸種智院式并序』冒頭より。嵯峨美術大学広報誌・綜芸種智院式并序の訓読

物事が栄えるか衰えるかは、人にかかっている。そう受け取れるこの言葉は、人を責めるための標語ではありません。学ぶ環境、教える内容、教師、学びを支える資金をどう整えるか。空海の教育構想には、その具体的な問いがありました。京都・宗教系大学院連合研究紀要・空海の教育構想と綜芸種智院

筆や書物があっても、教える人がいなければ学びは進みません。教える人がいても、学ぶ側に暮らしの余裕がなければ続けにくい。知識を大切にするとは、それを受け取れる条件まで考えることでもあったのでしょう。

敬意を、仕組みの中に残す

綜芸種智院は、理想が語られたまま永遠に続いた施設ではありません。資金面の難しさから、長く維持することはできませんでした。京都・宗教系大学院連合研究紀要・空海の教育構想と綜芸種智院 その事実を含めて読むと、よい志だけで継承が成り立つわけではないことが分かります。

現代の仕事でも、経験豊かな人に「若い人を育ててください」と頼むだけでは、その人の負担が増えてしまいます。教える時間を予定に入れる。教わる側が記録を残す。1人しか知らない手順を、みんなが使える形にする。そうした小さな設計があって、初めて感謝が続く力になります。

敬うことは、過去を飾ることだけではない。受け取った知恵が、次の誰かを助けるところまで運ぶこと。空海の試みを、そんなふうに今の暮らしへ引き寄せて読むことができます。

今を生きる私たちへ

1つめ。教わったことを具体的に返す

「お世話になりました」に、今も役立っている助言を1つ添えてみる。どの言葉が残っているかを伝えると、感謝の輪郭がはっきりします。

たとえば、恩師に近況を伝えるとき、「あのとき言われた『声は先に出す』を、今も試合前に続けています」と一行を添える。何が残ったかまで伝わると、相手にも、あの時間は無駄ではなかったという実感が返ります。

2つめ。教える時間も仕事として数える

説明を頼むときは、相手の手が空いていると決めつけず、時間を相談する。教えるための労力を見える形にすることも敬意です。

たとえば、後輩に手順を教えてもらうとき、「今から30分ください」と先に言う。相手の作業を止めていると分かって頼むだけで、教える時間は「ついで」ではなく仕事として扱われます。

3つめ。受け取った工夫を記録する

作業の手順だけでなく、なぜその順番なのかも書いておく。理由が残れば、条件が変わったときに次の人が考え直せます。

たとえば、片づけ方をメモに残すとき、「重い物は下段」だけでなく「取り出すときに腰を痛めないから」と理由まで書いておく。理由が残っていれば、置き場が変わった日にも、次の人が自分で考え直せます。

4つめ。次の人に渡せる入口をつくる

大きな研修を待たず、困ったときに読める1枚を用意する。自分もまだ学んでいる立場で、分かる範囲を分かる言葉にします。

たとえば、新しく入った人が必ずつまずくところを3つだけ書いた紙を、1枚つくって渡しておく。立派な手引きでなくてかまいません。自分が去年つまずいた場所こそ、いちばん役に立つ案内板になります。

おわりに

敬老の日の感謝を、その日だけの挨拶で終わらせなくてもよいのだと思います。教えてくれた人の時間を思い、その知恵が届く先をもう1つつくる。目には見えない継承が、暮らしや仕事の土台を少しずつ厚くしていきます。

次回は、競技の機会をひらいた先人の歩みから、人を敬うことを考えます。

筆と硯、閉じた巻物。受け取った知恵を、次の人へ渡すための道具(イメージ挿絵:和育道)
筆と硯、閉じた巻物。受け取った知恵を、次の人へ渡すための道具(イメージ挿絵:和育道)

あわせてどうぞ:受け取った機会を次の人へ渡した人の話はジャッキー・ロビンソン――同じグラウンドに立てることを、当たり前にしない。


この人物を、もっと知りたい方へ

『空海「三教指帰」 ビギナーズ 日本の思想』(角川ソフィア文庫・加藤純隆/加藤精一 訳) 出家を決意した若き日の空海が、儒教・道教・仏教を並べて論じた最初の著作。現代語訳つきで読めます。今回引いた言葉の出典ではありませんが、学びを社会へつなごうとした人の出発点が見えます。

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『空海の風景(上)』(中公文庫・司馬遼太郎) 空海という人を、時代ごと描いた長編。留学僧として唐へ渡るまでが上巻です。伝説を並べるのではなく、ひとりの人間として追っていく書き方が読みやすい。

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『『空海の風景』を旅する』(中公文庫・NHK取材班) 司馬遼太郎がたどった土地を、写真とともに歩き直した本。高野山や四国の景色が載っているので、記事を読んで行きたくなった方に。

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人物プロフィール

空海(774–835)

僧・思想家・書家。唐で学び、日本に真言密教を伝えた。高野山の開創や教育活動にも取り組む。ひとことで:学びと実践を社会へつないだ人。

空海が歩いた場所

空海が修行の拠点として開いた山上の地。

高野山・壇上伽藍。杉木立の向こうに根本大塔が立つ。空海が伽藍の造営に着手したのが、この一帯(写真:Wikimedia Commons/Adam Jones/CC BY-SA 2.0)
高野山・壇上伽藍。杉木立の向こうに根本大塔が立つ。空海が伽藍の造営に着手したのが、この一帯(写真:Wikimedia Commons/Adam Jones/CC BY-SA 2.0)
紅葉のころの根本大塔。現在の塔は昭和期の再建で、空海の時代の建物ではない(写真:Wikimedia Commons/Naokijp/CC BY-SA 4.0)
紅葉のころの根本大塔。現在の塔は昭和期の再建で、空海の時代の建物ではない(写真:Wikimedia Commons/Naokijp/CC BY-SA 4.0)
奥之院へ続く杉並木の参道。石灯籠が道の両側に並ぶ(写真:Wikimedia Commons/Josep M. Gracia/CC BY-SA 4.0)
奥之院へ続く杉並木の参道。石灯籠が道の両側に並ぶ(写真:Wikimedia Commons/Josep M. Gracia/CC BY-SA 4.0)
和歌山県(赤色)。紀伊半島の南西、海と山にはさまれた県(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
和歌山県(赤色)。紀伊半島の南西、海と山にはさまれた県(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
和歌山県のなかの高野町(赤色)。標高800mほどの山上にひらけた町(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)
和歌山県のなかの高野町(赤色)。標高800mほどの山上にひらけた町(地図:Wikimedia Commons/Lincun/CC BY-SA 3.0)

この土地へ行くなら

和歌山・高野山和歌山県・伊都郡高野町

紀伊半島の山のなか、標高800mほどの台地に、寺と宿坊が集まった町があります。空海が修行の場としてひらいた土地で、いまも千二百年近く人が住み続けています。午前の早い時間に行くと、参道に霧が残っていることがあります。学ぶ場をつくろうとした人が、なぜこの山を選んだのか。歩くと少しだけ分かる気がします。

赤の①②③は歩く順、藍色の a・b・c は寄り道の場所。左の小さな2枚は、日本のなかと県のなかでの位置。(地図:地理院タイル/国土地理院)

↑ 押すと大きく開きます

歩く順

  1. 1高野山駅高野山駅南海高野線の終点・極楽橋から、ケーブルカーで登りきった駅。ここから先はバスで町へ写真:Wikimedia Commons/Fabio Achilli/CC BY 2.0
  2. バスで10分ほど
  3. 2壇上伽藍・金剛峯寺壇上伽藍・金剛峯寺空海が造営に取りかかった一帯。杉木立の向こうに根本大塔が立つ写真:Wikimedia Commons/Adam Jones/CC BY-SA 2.0
  4. バスで10分ほど
  5. 3奥之院奥之院一の橋から御廟まで、杉並木の参道。歩いて片道20分ほど写真:Wikimedia Commons/Josep M. Gracia/CC BY-SA 4.0
Googleマップで経路を開く >

寄り道するなら

時間があれば

この土地の一皿

宿坊に泊まると、朝の勤行に参加できるところがあります。受け入れの有無は寺によって違うので、公式サイトでご確認ください。

開館時間や料金は変わることがあります。おでかけ前に公式サイトでご確認ください。

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拡大した地図abc
  • 1高野山駅
  • 2壇上伽藍・金剛峯寺
  • 3奥之院
  • a高野山霊宝館
  • b女人堂
  • c金剛三昧院

ENGLISH SUMMARY

Kukai — Buddhist monk, writer and educator in Japan (774–835)

“Whether things flourish or decline depends on people.”

— Opening of Shugei Shuchiin Shiki narabini Jo, the founding statement of his school (c. 828) / English translation by WA-IKU

Koyasan, Koya, Wakayama, Japan

Kukai opened Shugei Shuchiin, a school meant for people of any background, not only the nobility.

He wrote that what sustains learning is people: teachers, students, and the means to keep them going.

Gratitude for what we were taught can become a practical effort to help the next person learn.

働き盛りの会社員 × バスケコーチ × 地域活動家

~すべては、愛から~

和を敬い × 人を育て × 道を歩む。

和育道~wa-iku~

タグ

空海学び人材育成平安
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