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道の章

盛田もりた昭夫あきお「50年の第一歩」――10万台の注文を断って、名前を選んだ

2026年上半期の経常黒字は17兆4292億円で上半期として過去最大。それでも「デジタル赤字」は年6兆円を超え、払う額は稼ぐ額の約2.5倍になっています。日本は貧しくなったのではなく、稼ぎ方の土俵が変わった――。1955年、まだ無名だったソニーは10万台の大商談を断りました。条件が「ブランド名は相手のもの」だったからです。今日の売上か、50年後の名前か。盛田昭夫が選んだものの話です。

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夜のホテルの窓辺に立つ後ろ姿と、机の上の署名前の契約書(イメージ挿絵:和育道)
夜のホテルの窓辺に立つ後ろ姿と、机の上の署名前の契約書(イメージ挿絵:和育道)

本日ご紹介するのは、いま世界中で通じる、ある四文字の名前をつくった日本人です。

ただ、今日お話ししたいのは「どうやって有名になったか」ではありません。

有名になる前に、何を断ったか。その話です。

さて、どんな人だったのでしょうか。

今朝のニュース――過去最大の黒字の、中身

8月10日、財務省が2026年上半期(1〜6月)の国際収支速報を発表しました。

経常収支の黒字は、17兆4292億円。前年同期比で22.5%増、上半期としては過去最大の黒字幅です。

日本はいまも、世界有数の「黒字国」です。海外に持つ資産から、毎年たくさんの利子や配当が入ってくる。数字だけを見れば、盤石に見えます。

ところが、中身をよく見ると景色が変わります。

同じ発表のなかで、サービス収支の赤字は広がりました。上半期の訪日外国人は2108万人で、前年同期比2.0%減。5年ぶりのマイナスです(中国からの渡航自粛が大きく響きました)。逆に、海外へ出かける日本人は5.1%増えています。

旅行で稼いでいた黒字が、細ってきているということです。

そして、いちばん静かに、いちばん深く進んでいるのが「デジタル赤字」です。

クラウドサービス、ネット広告、動画や音楽の配信、仕事で使うソフトの利用料。私たちが毎日あたりまえに使っているものの代金が、海外のIT企業へ流れ続けています。

この赤字は2024年に6兆円を突破しました。2025年の上半期だけで、3兆4810億円。みずほ銀行の唐鎌大輔氏は、日本のデジタル赤字はOECD加盟国のなかで最大だと指摘しています。

さらに重いのが「差」です。2023年、日本が海外へ払った額は9兆2717億円。受け取った額は3兆7523億円。

払う額が、稼ぐ額の約2.5倍。

ある試算では、2035年には年18兆円にまで膨らむとされています。

日本が貧しくなったのではないと思うのです。

稼ぎ方の土俵が変わったのに、まだ前の土俵で相撲を取っている。そういう状態なのだと思います。

では、その土俵で、日本人はかつてどう戦ったのか。

その原点に、たった一人でアメリカへ渡った男がいます。

造り酒屋の長男が、焼け跡で会社をつくった

盛田昭夫。1921年に生まれ、1999年に亡くなった、ソニーの共同創業者です。

愛知県常滑の造り酒屋の長男として生まれました。十数代続く老舗の跡取りです。本来なら、家業を継ぐ人生でした。

大阪帝国大学の理学部物理学科を出て、海軍の技術中尉となります。そこで出会ったのが、13歳年上の井深大でした。

戦後の1946年、焼け跡の東京で、二人は東京通信工業を設立します。社員は20名あまり、資本金はわずか19万円の町工場でした。

盛田は、生涯この言葉を口にし続けたといいます。

ソニーは井深さんの夢を実現する会社

技術者としての力を持ちながら、自分が主役だとは言わなかった。

夢を見る人がいて、それを世界に届ける人がいる。その役割分担を、彼は最後まで守り抜きました。

1950年、国産初のテープレコーダーを発売。1955年、トランジスタラジオを世に出します。

けれど、盛田の本当の勝負は、ここから始まりました。

運命の「10万台」

1955年、アメリカ。まだ誰も知らない極東の小さな会社の営業マンが、サンプルのラジオを持って売り込みに回っていました。

そこへ、時計メーカーの名門ブローバ社から、とんでもない話が舞い込みます。

「10万台、買おう」

当時のソニーにとって、文字どおり会社が変わるほどの大商談です。断る理由など、どこにもありません。

ただし、条件がひとつありました。

「ブランド名は、ソニーではなくブローバにすること」

いわゆるOEMです。中身は自分たちが作る。けれど、表に出る名前は相手のもの。

稼げる。しかし、名前は残らない。

ブローバ側は、こう言ったと伝えられます。

50年かかって、私たちはこのブランドを作り上げた。あなた達の会社など、世界の誰も知らない

事実でした。反論の余地もありません。

それでも盛田は、この10万台を断ります。そして、こう言い切りました。

50年前には、あなたの会社のブランドも、いまのソニーと同様、誰ひとり知らなかったに違いない。我々は将来のために、いまや50年の第一歩を踏み出すのだ。50年後にはソニーもあなたの会社同様、必ず有名にしてみせる

この場面は、彼自身の著書『MADE IN JAPAN』に記されています。

これは、強がりではないと思うのです。

「時間の使い方」の宣言です。

いま10万台を取れば、今年の売上は立つ。けれど50年後、うちの名前は世界のどこにもない。

いま断れば、今年は苦しい。けれど50年後、「SONY」という四文字が残る。

彼は、目の前の「量」ではなく、50年後の「名前」を選びました。

そして、50年後

結果は、ご存じのとおりです。

1960年に米国法人を設立し、1961年には日本企業として初めて米国預託証券を発行。1970年には、ニューヨーク証券取引所に上場しました。

そして1979年、ウォークマン。

「音楽を持ち歩く」という、それまで世界のどこにも存在しなかった暮らし方そのものを売ったのです。

盛田は当時をこう振り返っています。

私は内心、これはいけるぞという自信がありました。なぜならば、若い人達は音楽無しではいられないということが解っていたからです

市場調査の数字ではなく、人間への観察から確信を得ている。

ここが、盛田の凄みだと思います。

盛田昭夫の言葉

彼の言葉には、いまの私たちに刺さるものが多くあります。

アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない

耳が痛い言葉です。差がつくのは発想力ではなく、実行する勇気のほうだ、と。

これは、以前ご紹介した本田宗一郎の「99%の失敗」や、稲盛和夫の「動機善なりや」とも、まっすぐ重なります。考えた人ではなく、動いた人が形を残す。

とにかく思い切ってやってみようじゃないか 間違ったらまた変えるのだ

完璧な計画を待たない。やって、直す。この軽やかさ。

そして晩年、彼はアメリカ型の経営をこう厳しく批判しました。

米国企業は、長続きする財産を築くことよりも、紙の財産をもてあそぶことに興味を覚え、四半期ごとの短期勝負に血道をあげている

「利益は目的ではなく、道を歩いた結果である」——渋沢栄一の『論語と算盤』で書いたことと、同じ系譜の言葉だと思います。

さらに、彼が掲げた有名な理念があります。

ソニーを、海外現地の人々が誇りに思う会社にしていただきたい。それが「グローバル・ローカライゼーション」の意味するところです

世界的な視野で考え、その土地に合わせて行動する。

——これは、和育道の「和」そのものだと思っています。

デジタル赤字とは、ブローバの条件を飲んだ状態

ここで、冒頭のニュースに戻ります。

デジタル赤字とは、要するに「日本がブローバの条件を飲んだ状態」だと言えます。

技術もある。勤勉さもある。現場力もある。大野耐一が磨き上げたカイゼンの力は、いまも世界最高水準です。

けれど、その上に乗るプラットフォーム——つまり名前と仕組みは、他人のもの。

だから、働けば働くほど、利用料を払う構造になる。

盛田が1955年に断ったのは、まさにこの構造でした。

もちろん、私たち一人ひとりが国のデジタル赤字を解決することはできません。

でも、この構造は、日々の仕事のなかにそっくり同じ形で存在しています。

言われたとおりにやるだけの人は、ずっと誰かのブランドの下請けです。腕はあるのに、名前が残らない。

自分の名前で仕事をする人は、時間はかかっても、必ず指名される人になる。

おわりに

今日から使える形に、三つだけ落としてみます。

1つめ。「今日の10万台」を疑うこと。

目の前の楽で確実な話に飛びつく前に、一拍おいて問う。「これは三年後の自分に、何を残すか」。断る勇気が、名前を作ります。

2つめ。名前を刻んで仕事をすること。

私の場合は、仕事の現場と、体育館のコートです。どちらでも「これはあの人がやった仕事だ」と分かる仕上げにしたい。署名のない仕事は、記憶に残りません。

3つめ。広く学んで、目の前の一人に返すこと。

グローバル・ローカライゼーションを、自分の暮らしの大きさに直すと、たぶんこうなります。

50年後の第一歩を、今日踏み出せるか。

問われているのは、たぶんそこだけです。

そして——断った日の盛田は、まだ何も持っていませんでした。持っていたのは、50年後の景色を思い描く力だけです。

それなら、今日の私たちにも同じものがあります。

——あなたなら、どんな「10万台」を断りますか。

(盛田の「手放す決断」を、今週の他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――今すぐの得を、手放した人たち)

(「目先より先を取る」という同じ選択を、戦後の焼け跡でした経営者がいます。出光佐三「馘首はならぬ」――仕事がゼロの日に、1000人を誰も切らなかった)


この人物を、もっと知りたい方へ

盛田昭夫の本人の言葉で読むなら『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』(朝日文庫)です。ブローバの場面も、この本に本人の筆で書かれています。

ただ、この本と『学歴無用論』は、今のところ新刊ではほとんど手に入りません。古書店にはありますが、状態も価格もまちまちなので、ここでご案内するのは控えます。図書館で探すのがいちばん確実だと思います。

かわりに、今日のニュースの部分を数字で深く追いたい方には、この一冊をおすすめします。

『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(日経プレミアシリーズ・唐鎌大輔) 記事のなかで「デジタル赤字はOECD加盟国で最大」と指摘していた、ご本人の著書です。円安とデジタル赤字が何を意味するのかを、数字で丁寧にたどれます。

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人物プロフィール:盛田昭夫(もりた・あきお)

1921年〜1999年。実業家。ソニー(旧・東京通信工業)共同創業者。

愛知県常滑の造り酒屋の長男に生まれる。大阪帝国大学理学部物理学科を卒業後、海軍技術中尉として井深大と出会い、1946年に東京通信工業を共同設立した。

1955年、ブランド名を譲る条件のついた10万台の大口注文を断り、自社ブランドで世界に出ることを選ぶ。1960年に米国法人を設立、1970年にニューヨーク証券取引所へ上場。1979年のウォークマンは、携帯音楽という文化そのものを生んだ。

「グローバル・ローカライゼーション」を掲げ、世界的視野と地域への根ざしを両立させる経営を説いた。著書に『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』『学歴無用論』など。

参考:ウィキペディア「盛田昭夫」

働き盛りの会社員 × バスケコーチ × 地域活動家

~すべては、愛から~

和を敬い × 人を育て × 道を歩む。

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盛田昭夫ソニーブランド経済ニュース
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