賢者名鑑 / 日本
盛田昭夫
もりた あきお
1921年1月26日 — 1999年10月3日|愛知県名古屋市東区白壁
50年の第一歩 ── 今日の売上より、50年後の名前

どんな人か
ソニー(旧・東京通信工業)の共同創業者です。1946年、井深大とともに設立しました。ウォークマンは、携帯音楽という文化そのものを生みました。
会社がまだ小さかった頃、彼は10万台という大口注文を断っています。条件が「ブランド名を譲ること」だったからです。目先の売上より、自分たちの名前を選びました。
基本データ
- 生まれ
- 1921年1月26日出典1
- 没
- 1999年10月3日出典1
- 生まれた地
- 愛知県名古屋市東区白壁出典1
- 分野
- 実業家。ソニー(旧・東京通信工業)共同創業者出典3
- 創業
- 1946年、井深大とともに東京通信工業を共同設立出典3大阪帝国大学理学部物理学科を卒業後、海軍技術中尉として井深大と出会った
- 断った注文
- 1955年、ブランド名を譲る条件のついた10万台の大口注文を断った出典3自社ブランドで世界に出ることを選んだ
- 世界へ
- 1960年に米国法人を設立、1970年にニューヨーク証券取引所へ上場出典3
- ウォークマン
- 1979年。携帯音楽という文化そのものを生んだ出典3
- 掲げた考え
- 「グローバル・ローカライゼーション」出典3世界的視野と地域への根ざしを両立させる経営を説いた。著書に『MADE IN JAPAN わが体験的国際戦略』『学歴無用論』など
10万台の注文を断って、名前を選んだ
1955年。まだ無名の小さな会社に、アメリカから10万台の大口注文が来ました。当時の規模からすれば、会社の未来が変わるほどの数字です。
ただし条件がありました。相手のブランド名で売ること。自社の名前は表に出さない、という取引でした。
盛田はこれを断ります。目先の10万台より、自社ブランドで世界に出ることを選んだのです。
この判断があったから、1960年に米国法人を設立し、1970年にはニューヨーク証券取引所へ上場できました。そして1979年のウォークマン——携帯音楽という文化そのものを生み出します。もし名前を譲っていたら、これらは誰か別の会社の歴史になっていました。
彼が掲げたのは「グローバル・ローカライゼーション」。世界的な視野と、その土地に根ざすことを両立させる経営です。名前を守るとは、看板を守ることではなく、自分たちが何者であるかを手放さないことでした。
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出典
数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。
