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本日ご紹介するのは、日本の歴史のなかで、おそらく最も名の知られた勝負師です。
刀を二本持った浪人の姿を、どこかで見たことがあるかもしれません。
けれど、この人の本当のすごさは、剣の強さではありませんでした。生涯をかけて取り組んだのは、まったく別のことだったのです。
さて、どんな人だったのでしょうか。
練習ではできるのに、試合になると固くなる。
子どもの試合を見ていて、そう感じたことはないでしょうか。
あるいは、自分自身のこと。大事な会議、面談、打ち合わせ。「今日は気合いを入れていこう」と気持ちを作って臨んで、それでも空回りする。
気合いが足りないのだろうか。それとも、もともとの才能の差だろうか。
四百年前、この問いに、たった一行で答えを出した人がいます。
六十戦無敗の男が、自分の勝ちを疑った
宮本武蔵。1584年ごろに生まれ、1645年に亡くなった剣豪であり、兵法家であり、そして『五輪書』の著者です。
13歳で初めての勝負に臨み、勝ちました。以後、28〜29歳までに六十余度の勝負を重ね、一度も敗れていません。『五輪書』の冒頭で、彼自身がこう記しています。
六十余度まで勝負をすといへども、一度もその利をうしなはず
1612年(慶長17年)、巌流島。佐々木小次郎との決闘は、あまりにも有名です。
ところが武蔵は、その頂点を、後になってこう振り返っています。
三十を越えて、跡をおもひみるに、兵法至極してかつにはあらず
——三十を過ぎて振り返ってみると、あれは兵法を極めて勝ったのではなかった、と。
生まれつき素質があったのかもしれない。相手が弱かったのかもしれない。運が良かったのかもしれない。
六十連勝の男が、その勝ちを「本物ではない」と切り捨てたのです。
ここが、武蔵の凄まじいところだと思います。
勝ち続けた人ほど、自分の勝ちを疑いません。うまくいっている理由を、自分の実力だと思いたくなる。
彼は、疑った。だから五十を過ぎてなお、学び続けることができました。
刀ではなく、筆を執った晩年
晩年、武蔵は熊本の細川家に客分として迎えられます。
そして60歳ごろから、金峰山にある霊巌洞という岩窟にこもりました。
剣を振るためではありません。書くためです。
そこで生まれたのが『五輪書』——地・水・火・風・空の五巻。自らが体得した兵法を、後世の誰にでも伝わる言葉に落とし込む作業でした。
考えてみてください。六十度勝った男が、人生の最後にいちばん時間をかけたのは、「戦うこと」ではなく「言葉にすること」だったのです。
その『五輪書』のなかで、武蔵はこう言い切ります。
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす
千日——およそ3年で、ようやく「鍛」。一万日——およそ27年で、はじめて「練」。
短期の成果を求める現代人には、気の遠くなる時間軸です。
けれど、これは絶望の言葉ではないと思うのです。
「一万日かけなければ本物にならない」ということは、裏を返せば「今日の一日は、一万分の一として確実に効いている」ということでもあります。
進んでいる実感がなくても、減ってはいない。静かな肯定の言葉です。
「常の身」——本番だけ整える人は、本番で崩れる
そして、私がいちばん好きな一節がこちらです。
常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすべし
——普段の自分と、勝負の自分を分けるな。
道場でだけ真剣な人間は、本番で必ず崩れる。逆に、日常の所作がそのまま構えになっている人間は、いつ始まっても慌てない。
コートに入った瞬間だけ気持ちを作る選手と、家を出る前から整っている選手。どちらが強いかは、言うまでもありません。
これは、子どもを見ていていつも思うことです。
試合前に円陣を組んで声を出す。それはそれで大事です。けれど、本当に強い子は、体育館に入ってくる時点でもう静かに整っている。靴のそろえ方、荷物の置き方、あいさつの声。試合はもう始まっているのです。
大人も同じでした。朝の段取りが雑だった日は、午後にきっちり跳ね返ってくる。
「本番に強くなる方法」を探していたけれど、答えは本番の外にあった、ということです。
「観の目」を強く、「見の目」を弱く
もうひとつ、武蔵の有名な観察論があります。
観見二つの見様、観の目つよく、見の目よわく
「見」は、目に映るものを追うこと。「観」は、その奥にある意図や流れを読むこと。
目に見える動きを追いかけるな、本質を観よ、と武蔵は言います。
子どもが練習に身が入っていない。「やる気がない」と見るのが、見の目です。
その奥にある——たとえば今日の朝に家で何かあったのかもしれない、できない技を人前でやるのが怖いのかもしれない——そこまで読むのが、観の目。
育てるというのは、見の目を弱め、観の目を強めることなのだと思います。
この「奥を観る」という姿勢は、トヨタの大野耐一が「なぜ」を五回くり返した話とも、まっすぐつながっています。
死の7日前に書かれた、21箇条
1645年、武蔵は自らの死期を悟ります。
その死の、わずか7日前。彼は筆を執りました。
書き上げたのが『独行道』——自分自身への戒め、21箇条です。
いくつか挙げてみます。
我事において後悔をせず
役にたたぬ事をせざる事
常に兵法の道をはなれず
死の7日前です。
もう、誰に見せる必要もない。名を上げる必要もない。弟子に威厳を示す必要も、もうありません。
それでも彼は、自分との約束を、紙に書き記した。
準備とは、報われるかどうかとは無関係に整えることだ——武蔵はそれを、最期の一週間で証明したのだと思います。
おわりに
一万日、と聞くと、途方に暮れます。
27年です。今から始めて、終わるころには自分がいくつになっているか。そう考えると、たいていの人は始める前にやめてしまう。
だから武蔵は、その一万日を、日々の「常の身」に分解して見せたのだと思います。
特別な日のために整えるのではなく、いつも整っている状態をつくる。玄関の靴。机の上。朝の一杯。
それは、誰に見られていなくてもできることばかりです。
六十戦無敗の剣豪が、最後に岩窟にこもって書き残したかったのは、必殺の技ではありませんでした。「普段をどう過ごすか」だったのです。
今日の一歩は、これでどうでしょう。
明日の朝、家を出る前に、ひとつだけ整えてみる。靴をそろえる。机の上をひとつ片づける。それだけでいい。
一万分の一が、今日ひとつ積まれます。
もし今、すぐには報われないことを続けている最中なら——それは千日目のどのあたりでしょうか。数えてみると、案外まだ序盤で、少し気が楽になるかもしれません。
続ける力そのものについては、ベンジャミン・フランクリンが13の徳目を手帳につけ続けた話も、あわせてどうぞ。自分への約束を紙に書いた人が、武蔵のほかにもいました。
小さな積み重ねが大きなものになるという考え方は、二宮尊徳の「積小為大」に通じます。武蔵の「千日・万日」と、同じ地層にある言葉です。
(「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」と同じことを、400年後の打席で言い切った人がいます。しかも引退会見の一言は「後悔などあろうはずがありません」でした。イチロー「8000回の悔しさ」――4000本の裏側を、彼は誇りに置いたも、あわせてどうぞ。)
(『五輪書』が「内へ向けた言語化」だとすれば、「外へ向けた言語化」をした日本人がいます。新渡戸稲造「われ、太平洋の橋とならん」――あいだに立つ者は、両側から撃たれるも、あわせてどうぞ。)
この一冊を、もっと深く
『五輪書』(岩波文庫・渡辺一郎 校注) 武蔵が霊巌洞で書き上げた、その本そのものです。「千日の稽古を鍛とし」も「常の身を兵法の身とし」も、すべてこの一冊のなかにあります。原文に注釈がついているので、400年前の言葉を、削られないまま受け取れます。
宮本武蔵(みやもと・むさし)
1584年ごろ〜1645年。江戸時代初期の剣術家、兵法家、芸術家。二天一流の開祖。
13歳で初めての勝負に勝って以来、28〜29歳までに六十余度の勝負を重ね、一度も敗れなかったと『五輪書』に自ら記している。1612年の巌流島での佐々木小次郎との決闘は特に名高い。
晩年は熊本藩主・細川家に客分として迎えられ、金峰山の霊巌洞にこもって『五輪書』を著した。水墨画や工芸にも優れ、「枯木鳴鵙図」などの作品が現存する。死の7日前に自戒21箇条『独行道』を書き残した。
