和育道〜wa-iku〜

賢者名鑑 / 日本

宮本武蔵

みやもと むさし

1584年ごろ — 1645年|日本

常の身 ── 本番だけ整える人は、本番で崩れる

宮本武蔵の記事の挿絵
霊巌洞で筆を執る。六十戦無敗の男が、最後に書き残したもの(挿絵:和育道)

どんな人か

江戸時代初期の剣術家・兵法家・芸術家で、二天一流の開祖です。13歳で初めての勝負に勝って以来、28〜29歳までに六十余度の勝負を重ね、一度も敗れなかったと『五輪書』に自ら記しています。

その六十戦無敗の男が、晩年に洞窟にこもって書いたのは、勝ち方の自慢ではありませんでした。自分の勝ちを疑うところから、『五輪書』は始まっています。

基本データ

生まれ
1584年ごろ出典3
没
1645年出典3死の7日前に自戒21箇条『独行道』を書き残した
生まれた地
日本出典3
分野
剣術家・兵法家・芸術家。二天一流の開祖出典3
戦績
13歳で初めての勝負に勝って以来、28〜29歳までに六十余度の勝負を重ね、一度も敗れなかった出典3『五輪書』に自ら記している。1612年の巌流島での佐々木小次郎との決闘は特に名高い
『五輪書』
晩年、熊本藩主・細川家に客分として迎えられ、金峰山の霊巌洞にこもって著した出典3
芸術
水墨画や工芸にも優れ、「枯木鳴鵙図」などの作品が現存する出典3
『独行道』
死の7日前に書き残した自戒21箇条出典3

六十戦無敗の男が、自分の勝ちを疑った

六十余度戦って一度も負けなかった。普通なら、そこで「自分の剣は正しかった」と結論づけます。

ところが武蔵は、晩年の『五輪書』でこう振り返ります。若い頃の勝ちは、たまたま相手が弱かったか、自分の手足が速かっただけかもしれない、と。無敗の記録を、自分で疑ったのです。

だから彼は、勝った理由を「才能」や「強さ」に置きませんでした。置いたのは、稽古の量のほうです。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」——千日でようやく鍛、万日でようやく練だ、と。

万日はおよそ27年です。一日で一万分の一しか進まない。けれどその一万分の一が、今日ひとつ積まれる。

晩年、熊本の金峰山にある霊巌洞にこもって『五輪書』を書き、死の7日前には自戒21箇条『独行道』を残しました。最後まで、自分に注文をつけ続けた人でした。

この人の言葉

千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす出典3『五輪書』に伝わる一節。千日でようやく鍛、万日でようやく練。万日はおよそ27年にあたる

ゆかりの地

1612

巌流島(山口県下関市)出典3

佐々木小次郎との決闘の地として名高い。

晩年

霊巌洞(熊本県・金峰山)出典3

『五輪書』を書き上げた洞窟。六十戦無敗の記録を自ら疑うところから、この書は始まっている。

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出典

  1. ウィキペディア「宮本武蔵」
  2. 和育道「宮本武蔵「常の身」――六十戦無敗の男が、自分の勝ちを疑った」(記事本文の表記に準拠)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。