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本日ご紹介するのは、甲子園でいちばん多く勝った監督です。
厳しい人、というイメージで語られてきた方ですが、調べていくと、まったく逆の顔が出てきました。
さて、どんな人だったのでしょうか。
後任に任せたのに、つい口を出してしまう。
キャプテンを決めたのに、結局は自分が仕切っている。若い人に振ったのに、途中で取り上げてしまう。
任せるとは、どこまでを言うのか。
その答えを、いちばん高い舞台で見せた人がいます。
ベンチにいなかった人の話
先週の土曜、甲子園で決勝がありました。智弁和歌山が健大高崎を4対3で下し、5年ぶり4回目の優勝。終盤に逆転しての勝利でした。
今日取り上げるのは、この試合でベンチにいなかった人です。
前監督の、高嶋仁(たかしま・ひとし)さん。
そして現監督の中谷仁さんは、高嶋さんが率いた1997年の優勝チームで主将を務めた選手でした。
教えた人が、任せた人を、外から見ていた試合だったわけです。
翌日、グラウンドには誰もいなかった
高嶋仁。1946年、長崎・五島列島の生まれです。
地元の強豪・海星高校で2年夏と3年夏に甲子園へ出場。日本体育大学を経て、奈良の智辯学園でコーチ、そして監督になります。
1980年、開校3年目の智辯和歌山へ移りました。
このときの状況を、ご本人がこう振り返っています。
僕が行くまでは練習試合も含めて1度も勝ったことがないようなチームだった
走塁で滑り込めば骨折し、外野フライを追ってフェンスに激突して救急車で運ばれる。陸上部、バスケ部、バレー部から来た3人が「はじめの一歩」でした。
そこで新監督が言ったのが、これです。
「とりあえずポールからポールまで100本走ろうか」
かかった時間、2時間半。
そして翌日、グラウンドには誰もいなかったそうです。
ここから始まって、指導者人生48年。甲子園出場38回、春夏通算68勝は、いずれも歴代最多です。2018年の夏を最後に勇退されました。
3カ月で、優勝候補を倒す
弱小チームを率いた最初の年、彼はこんな経験をします。
猛練習を3カ月続けたところ、選手たちの体力とハートが変わってきた。技術はまだない。それでも、変わった。
そして春の大会、抽選でいきなり優勝候補を引き当てます。
職員室では「去年は5回コールドやったから、今年は7回までいってほしいな」という声が聞こえていたそうです。完全に負け前提です。
結果は、5対2で智辯和歌山の勝ち。
高嶋さんは、こう総括しています。
1勝もできないチームでも3カ月あれば優勝候補を倒せる。これが野球の怖いとこなんですよね
なぜ勝てたのか。技術はまだないけれど、量をやってきたという自信があった、と本人は言います。
先週ご紹介したイチローの「小さいことを積み重ねる」とも、伊能忠敬の「歩け、歩け」とも、同じ話です。積み重ねは、そのまま自信の材料になる。
「強打智辯」を作ったことは、1回もない
ここからが、今日の本題です。
智辯和歌山といえば「強打」。応援歌が鳴り、打線が爆発する。誰もがそう思っています。
ところが高嶋さんは、こう言い切ります。
いま言われる「強打智辯」を作ったことは1回もありません
彼が作ろうとしたのは、守りのチームでした。打撃の記録を作った年でも、和歌山大会ではホームランが1本も出ていなかった、とも語っています。
つまりあの打線は、彼が「打て」と命じて作ったものではない、ということです。
彼のセオリーの第1条は、こうです。
選手との距離感を大事にする
さらに、こんな項目が並びます。部員は少人数制。キャプテンは人間性と成績で選ぶ。悔しさは試合で味わわせる。親が練習や練習試合を観に来るのは禁止。
そして——甲子園は天国。行動は自由にさせる。
「仁王立ちの闘将」というイメージからは、やや意外ではないでしょうか。
甲子園という最大の舞台でこそ、彼は手を離していたのです。
厳しさで土台を作り、本番では自由にさせる。握る場所と、離す場所を分けている。これが「距離感」の中身だと思います。
ジョン・ウッデンが「勝て」と一度も言わなかったのも、同じ設計でした。準備のところは細かく、本番のところは言わない。
外から見た、決勝戦
そして、今回の優勝です。
高嶋さんが大会本部を通じて出したコメントが、私は好きでした。
決勝について。「どっちにころぶかわからない試合でした。両チームとも立派な戦いでした」
今夏のチームについて。「和歌山大会から苦しい試合が続きました。甲子園に来てからはそのぶん、のびのびやれていたと思います」
そして、教え子である中谷監督について。
うまいこといっていると思います
ここです。
指示でもない。批評でもない。ただ、認めている。
もし彼が「あの場面は動くべきだった」と語っていたら、それはまだ手を離せていないということです。
48年握り続けた人が、完全に離しきっている。
言わなくても動くチームの最終形は、言う人がいなくなっても動くチームなのだと思います。
アレックス・ファーガソンが10年かけて土台を作った話も、最後は「自分がいなくなったあと」を見ていました。長く指導した人ほど、離すことの重さを知っています。
おわりに
今日から持ち帰れることを、三つだけ。
1つめ。握る場所と離す場所を、先に決めること。
全部を厳しくすると、本番で縮みます。準備は握る、本番は離す。指導する側が、この線引きを言葉にしておく。
2つめ。3カ月を、信じてやってみること。
1勝もできないチームが優勝候補を倒すのに必要だったのは、3カ月でした。新チーム、新入社員、新しい班。まずは3カ月です。
3つめ。引き継いだ人を、外から認めること。
後任、後輩、次のキャプテン。口を出したくなったら、高嶋さんの「うまいこといっていると思います」を思い出したいと思います。
——あなたがいま握っているもののうち、そろそろ離していいものは、どれでしょうか。
(昨日の「手を離す」の次は、「自分の在り方を正す」話です。中江藤樹「五事を正す」――命令も規則もなしに、村が勝手に変わっていった)
(高嶋さんの「握る場所と離す場所」を、今週の他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――「やれ」と言う前に、彼らが済ませていたこと)
この指導を、もっと深く
高嶋さんの指導を、もう少し具体的に知りたい方へ。三冊、置いておきます。
『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー 甲子園最多勝監督の勝つための法則88』(ベースボール・マガジン社・田尻賢誉) 本記事で引用した「選手との距離感を大事にする」をはじめ、88の法則が並びます。指導する立場の人には、これが一番早いです。
『一徹――智辯和歌山 高嶋仁 甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(谷上史朗) 10年以上の密着取材から書かれた一冊。勇退という決断に至るまでの迷いまで描かれています。
『五輪書』(岩波文庫・宮本武蔵/渡辺一郎 校注) 「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす」。準備で握り、本番で離す——宮本武蔵の「常の身」と並べて読むと、同じことを言っているのが分かります。
人物プロフィール:高嶋仁(たかしま・ひとし)
1946年生まれ。長崎県五島列島の出身。高校野球指導者。
海星高校(長崎)で選手として2度の甲子園出場。日本体育大学を経て、奈良県の智辯学園でコーチ・監督を務めたのち、1980年に智辯和歌山高校へ移る。
智辯学園・智辯和歌山の両校で指揮を執り、監督として甲子園に38回出場。春夏通算68勝は歴代最多、優勝は春夏あわせて3回。2018年夏を最後に監督を勇退した。
「選手との距離感を大事にする」を第1条とする指導論で知られ、練習では厳しさを求める一方、甲子園の舞台では選手の自主性に任せる姿勢を貫いた。2026年夏、教え子の中谷仁監督が率いる智弁和歌山が5年ぶりの優勝を果たしている。
