和育道〜wa-iku〜
和の章

雲門うんもん文偃ぶんえん「日々是好日」――「今日はダメな日だった」と思う夜に

Yunmen Wenyan — Zen master of the Tang dynasty, China (864–949) Read in English ↓

「今日はダメな日だった」――一日の終わりに、私たちは無意識にその日を採点しています。茶室の掛け軸で有名な「日々是好日」。実はこれ、「毎日楽しく過ごそう」という前向きな標語ではありません。良い日・悪い日と裁いているのは、いつも自分の都合。唐の禅僧・雲門文偃が千年前に示したのは、その採点をやめる、という生き方でした。

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雨の庭に面した禅堂で、弟子たちを前に座る雲門文偃(イメージ挿絵:和育道)
雨の庭に面した禅堂で、弟子たちを前に座る雲門文偃(イメージ挿絵:和育道)

一日の終わりに、私たちはよく、その日を採点しています。

「今日は良い一日だった」

「今日は最悪だった」

うまくいけば、良い日。うまくいかなければ、悪い日。

そうやって毎日を採点していると、良い日と悪い日の割合に、人生が左右されるようになります。そして多くの場合、思い通りにいかない日のほうが、多いものです。

けれど――そもそも日に、良いも悪いもないとしたら、どうでしょう。

茶室の掛け軸に、よく書かれている言葉があります。

「日々是好日(にちにち これ こうにち)」

毎日が、良い日である――。

一見、明るく前向きな標語のようです。けれど、この言葉の本当の意味は、まったく違うところにあります。

なお、この五文字は禅の世界では「にちにち これ こうにち」と読むのが一般的です。茶道の席や、映画にもなった随筆の題名では「にちにち これ こうじつ」とも読まれます。どちらかが誤りというわけではなく、千年のあいだ、読み方まで含めて人が受け渡してきた言葉です。

「これからのことを、一言で言え」

この言葉の元になったのは、中国・唐の時代の禅僧、雲門文偃(うんもん ぶんえん)の問答です。禅の代表的な公案集『碧巌録(へきがんろく)』の第六則に、「雲門日日是好日」として収められています。

ある日、雲門は弟子たちに、こう問いかけました。

「十五日以前は問わず。十五日以後、一句を道(い)え」

これまでのことは問わない。これからのことについて、一言で言ってみよ――。

この「十五日」が、いつを指すのか。禅の世界には、雨安居(うあんご)の明けた日、つまり僧たちが九十日間こもりきりで修行する期間が、ちょうど終わったその日を指すのだという解釈があります。

だとすれば、この問いの重みが変わってきます。

やり遂げた。修行は終わった。その達成感のただ中にいる弟子たちに向かって、雲門はこう言ったことになるのです。

ここまでのことは、もう問わない。で、明日から、どう生きる。

弟子たちは、誰も答えられませんでした。

すると雲門は、自ら答えます。

「日々是好日」

この短い問答の意味は、長く禅の世界で議論されてきました。

広く受け取られている解釈は、こうです。

過去を悔やまず、未来を憂えず、今日という日を、そのまま受け取れ。

雨の日も、晴れの日も。うまくいく日も、いかない日も。すべてが「好日」である。

これは、楽観主義ではありません。

むしろ、あるがままを受け入れる、覚悟の表明なのです。

「好日」は、選ぶものではない

私たちが日を採点するとき、そこには一つの問題があります。

自分の都合で、日を裁いているということです。

雨が降れば「悪い日」。けれど、農家にとっては恵みの雨かもしれません。

計画が狂えば「悪い日」。けれど、その変更が、後から見れば正しかったということもあります。

私たちは、その瞬間の狭い視野で、一日を判断しているのです。

雲門が言う「日々是好日」とは、この評価をやめよ、ということでした。

良いも悪いもない。今日という日を、そのまま受け取る。

そのとき初めて、その日の本当の意味が見えてきます。

江戸の禅僧・良寛は、大地震のあと、被災した知人への手紙にこう書きました。「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候」――避けられないものは、あるがままに受け入れる。

抵抗が苦しみを生み、受容が静けさを生む。「日々是好日」も、同じことを言っています。(良寛「一日一生」の記事はこちら)

今日という日は、二度と来ない

「日々是好日」には、もう一つの側面があります。

今日という日は、二度と来ない。

同じ日は、人生で一度きりです。昨日と同じように見える今日も、実はまったく違う一日です。

茶道には「一期一会」という言葉があります。千利休は「路地へ入るより出づるまで、一期に一度の会のように」と説いたと伝えられ、その教えを書き残したのは弟子の山上宗二でした。そして「一期一会」という四字熟語の形にして広めたのは、幕末の大老・井伊直弼です。

一生に一度の出会いだと思って、この一会を大切にする。何百年もかけて受け継がれたその精神は、「日々是好日」と深く響き合います。(千利休「守破離」の記事はこちら)

毎日繰り返される日常も、実は一度きりの機会の連続です。

同じ人と交わす挨拶も、同じ道を歩くことも、今日という日には、今日だけの意味がある。

そう思えたとき、退屈だと思っていた日常が、少し違って見えてきます。

受け入れることと、備えること

ここで、一つの疑問が生まれます。

「あるがままを受け入れる」なら、準備や計画は不要なのでしょうか。

そうではありません。

禅は、努力を否定しません。むしろ、修行という徹底した努力を求めます。

大切なのは、順序です。

まず、できる限りの準備をする。そのうえで、起きたことを受け入れる。

「人事を尽くして天命を待つ」と、まったく同じ構造です。

人事を尽くさずに「日々是好日」と言うのは、ただの怠惰にすぎません。尽くしたうえで、結果をあるがままに受け取る。その姿勢が、揺るがない心を作ります。

変えられるものは、変えていく。変えられないものは、受け入れる。そしてその二つを、見分ける。ニーバーの祈りもまた、この同じ順序を説いていました。(ニーバーの祈りの記事はこちら)

準備を尽くす。そして、何が起きても受け取る覚悟を持つ。

この両輪が、静かで豊かな日々を作っていきます。

今を生きる私たちへ

「日々是好日」は、千年以上前の禅語でありながら、今日の私たちにそのまま効きます。

一日を、採点しない。 「今日はダメだった」と裁いた瞬間、その日は本当にダメな日になります。評価をやめると、同じ一日がまったく違う姿を見せます。

思い通りにならないことを、前提にする。 予定は狂うもの。人は思い通りに動かないもの。そう構えておくと、起きたことに振り回されにくくなります。

今日だけの意味を、探してみる。 同じ道、同じ人、同じ作業。その中に、今日だけの何かが必ずあります。天気、光、誰かの表情。気づけるかどうかだけの違いです。

準備を尽くしたら、あとは手放す。 できることをやったら、結果は受け取る。この順番を守れる人が、いちばん静かに強くいられます。

おわりに

「日々是好日」は、茶道の世界で特に大切にされてきました。

茶室では、雨の日には雨の日の趣を、雪の日には雪の日の風情を味わいます。天候を嘆くのではなく、その日ならではの美しさを見出す。

思い通りにならないことを、嘆かない。むしろ、そこに別の価値を見出す。不完全なもの、移ろいゆくものの中に美を見る――「わび・さび」の精神です。

正直に言えば、私にも、一日の終わりに採点する癖があります。うまくいかなかった日は、布団の中で何度も巻き戻して、「今日はダメだったな」と結論を出してしまう。

けれど、その採点をしているのは、いつも自分です。

これからも、思い通りにならないことは、必ず起きます。仕事のトラブル、人間関係の摩擦、予期せぬ出来事。

けれど、それらもすべて「好日」の一部です。

準備を尽くし、そして起きたことを受け取る。その繰り返しが、人生を作っていきます。

今日という日も、二度と来ません。

この静かな時間もまた、一度きりのものです。

今日がどんな一日だったかは、まだ決まっていないのかもしれません。

(「終わった一日を、良いとも悪いとも採点しない」。同じ構えを、コートの上で実践し続けた人がいます。ロジャー・フェデラー――一流でも、ポイントの46%は失っている)

(雲門の「採点をやめる」を、他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――「頑張れ」と言わなかった彼らが、代わりに変えたもの)

この禅語を、もっと知りたい方へ

「日々是好日」をはじめとする禅語には、短い言葉の中に、生き方の知恵が凝縮されています。

ご紹介するのは、茶道を習いはじめた一人の女性が、二十数年のけいこを通して、この五文字の意味に少しずつ気づいていく随筆です。2018年に映画化され、樹木希林さんの最後の出演作となりました。

禅の解説書ではありません。雨の音、湯の音、季節の移ろい。お茶のけいこの中で起きた小さなことが淡々と綴られていて、読み終わるころには、この言葉が理屈ではなく、体でわかるようになっています。

この言葉が「前向きな標語」ではないと知った今なら、その一文字一文字が、より深く響くはずです。

『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫・森下典子)

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人物プロフィール:雲門文偃

  • 氏名:雲門文偃(うんもん ぶんえん)
  • 生没年:864年 ― 949年/中国・唐末〜五代十国時代
  • 出身:蘇州嘉興県(現在の浙江省嘉興市)
  • 分野:禅僧/禅宗五家の一つ「雲門宗」の開祖
  • 経歴・功績

  • 若くして出家し、各地の高僧のもとで厳しい修行を積んだ。
  • 広東省の雲門山に道場を開き、多くの弟子を育てた。その一派は「雲門宗」と呼ばれ、禅宗五家(臨済宗・曹洞宗・潙仰宗・雲門宗・法眼宗)の一つに数えられる。
  • 短く鋭い一言で本質を突く指導で知られ、たった一字で答える「雲門の一字関」が名高い。
  • 「日々是好日」は、雲門が弟子に「これからのことを一句で言ってみよ」と問い、誰も答えられなかったため自ら示した答えとされる。『碧巌録』第六則に「雲門日日是好日」として収められている。
  • この言葉は日本に伝わり、とりわけ茶道の世界で重んじられ、茶室の掛け軸に最も多く用いられる禅語の一つとなった。
  • ひとことで:短い一言で本質を突いた、唐末の禅僧。「日々是好日」という五文字で、良し悪しを評価せず今日をそのまま受け取る生き方を示し、千年を超えていまも日本の美意識に生き続けている。

    参考:ウィキペディア「雲門文偃」

    ENGLISH SUMMARY

    Yunmen Wenyan — Zen master of the Tang dynasty, China (864–949)

    “Every day is a good day.”

    — The Blue Cliff Record, Case 6 / English translation by WA-IKU

    His mountain: Mount Yunmen, Guangdong, China

    He answered his students in a single word whenever he could.

    “Every day is a good day” was his reply to his own question.

    It does not mean every day is pleasant. It means each day comes only once.

    働き盛りの会社員 × バスケコーチ × 地域活動家

    ~すべては、愛から~

    和を敬い × 人を育て × 道を歩む。

    和育道~wa-iku~

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