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「あの人は、言っても動かない」
「最近の若い人は、関心がない」
そんなふうに、人のせいにしたくなることはありませんか。
何度声をかけても反応がない。任せても続かない。だんだん「この人たちは、そういう人なんだ」と思うようになる。
けれど――問題は人ではなく、仕組みの側にあるとしたら、どうでしょう。
そのことを、たった27ドルで証明してみせた人がいます。
ムハマド・ユヌス。バングラデシュの経済学者であり、ノーベル平和賞の受賞者です。
「この学問に、何の意味があるのか」
1974年、バングラデシュ。
大飢饉が国を襲い、多くの人が命を落としました。
大学で経済学を教えていたユヌスは、深く悩みます。
私は教室で、美しい経済理論を教えている。しかし外では、人が飢えて死んでいる。この学問に、何の意味があるのか。
彼は教室を出て、大学のすぐ隣にある貧しい村へ向かいました。
そこで見た現実が、彼の人生を、そして世界を変えることになります。
たった27ドルの壁
飢饉から2年後の1976年。村でユヌスが出会ったのは、竹で腰掛けを作る女性たちでした。
彼女たちは一日中働いても、わずかな収入しか得られません。
なぜでしょうか。
材料を買うお金がないため、高利貸しから借りるしかない。そして高利貸しは、法外な利息を取るうえに「作った製品は、自分が決めた安値で売れ」という条件をつけていたのです。
つまり――どれだけ働いても、利益のほとんどを吸い取られる仕組みでした。
ユヌスは、村の42世帯を調査しました。
彼女たちが必要としていた資金の総額は、わずか27ドル。日本円にして、数千円です。
「たった27ドルが、42世帯を貧困から救えなかったのか」
衝撃を受けたユヌスは、自分のポケットマネーから27ドルを貸しました。
結果、女性たちは高利貸しの束縛から解放され、自分で製品を売れるようになります。収入が増え、生活が改善しました。
そして――全員が、きちんと返済しました。
「貧しいから返せない」のではなかった
手応えを感じたユヌスは、銀行に掛け合います。
「貧しい人にお金を貸してほしい」
けれど、銀行の答えは一貫していました。
不可能だ。彼らには担保がない。返済能力もない。字も読めない者に融資などできない――。
これが、当時の常識でした。貧しい人は、信用できない。
けれどユヌスは、この常識に疑問を持ちました。
貧しいから返せないのではない。返す機会を、与えられていないだけではないか。
彼は自ら保証人となり、借りた金を村人に又貸しする形で、実験を続けます。
結果、返済率は98%を超えました。大企業への融資よりも、はるかに高い返済率でした。
なぜでしょうか。
貧しい人々にとって、その融資は「人生を変える、唯一のチャンス」だったからです。だから必死に働き、必ず返した。
ユヌスは確信します。
問題は、貧しい人にあるのではない。彼らを排除する、仕組みの側にある。
人を疑って値踏みするのではなく、まず信じて任せる。日本にも、同じ考えで人を伸ばした経営者がいました。(松下幸之助の記事はこちら)
担保は「モノ」ではなく「人間関係」
1976年に始まった小さな実験は、7年後の1983年、正式な銀行になります。
グラミン銀行(グラミンは「村」の意味)。
この銀行には、既存の銀行とは真逆の原則がありました。
担保を取らない。契約書もない。融資の大半は女性へ。
では、どうやって返済を確かなものにしたのでしょうか。
ユヌスが考案したのが「五人組」の仕組みです。
融資を受けたい人は、五人のグループを作ります。そして、一人が返済できなくなると、グループ全体が次の融資を受けられなくなる。
ここに、巧妙な設計があります。
担保は「モノ」ではなく「人間関係」だったのです。
仲間に迷惑をかけたくない。仲間が困っていれば助ける。この相互扶助と責任感が、どんな担保よりも強く機能しました。
さらに、グループは週に一度集まり、事業の状況を報告し合います。そこで知恵が共有され、励まし合いが生まれる。
孤立していた個人が、コミュニティの一員になる。
これこそが、グラミン銀行の本当の力でした。
街の安全を守るのは警察ではなく、そこに暮らす人どうしの関心だ――20世紀のアメリカで同じことを説いた人がいます。(ジェイン・ジェイコブズの記事はこちら)
なぜ、女性に貸したのか
グラミン銀行の融資の大半は、女性に対するものです。
これには、明確な理由がありました。
ユヌスは調査を通じて、こんな傾向を見出します。
女性が収入を得た場合、そのほとんどが家族と子どものために使われる。
食事が改善し、子どもが学校に行けるようになり、家が修繕される。
つまり、女性に融資することが、家族全体、そして次の世代への投資になる。
これは、単なる貧困対策を超えていました。教育であり、健康であり、未来への投資だったのです。
一人の女性に渡った27ドルが、次の世代の人生を変えていったのです。
今を生きる私たちへ
ユヌスの発想は、金融の話にとどまりません。人と関わるすべての場面に効きます。
「できない理由」ではなく「できる仕組み」を考える。 「担保がないから貸せない」ではなく「担保なしで貸せる仕組みは何か」。この発想の転換が、不可能を可能にします。
疑うのではなく、信じることから始める。 疑いを前提にした仕組みは、人の可能性を閉ざします。信じることを前提にすれば、人はその期待に応えようとします。
つながりが、最大の担保になる。 モノや契約より、人間関係のほうが強く機能することがある。コミュニティの力を、仕組みに組み込む発想を持つ。
そして、いちばん大事なのがこれです。
「あの人は動かない」と嘆く前に、こちらの仕組みを疑う。
役割が明確でない。参加のハードルが高い。声を上げにくい雰囲気がある。相談する相手がわからない。
――それは、人の問題ではなく、仕組みの問題かもしれません。
おわりに
2006年、ユヌスとグラミン銀行はノーベル平和賞を受賞しました。授賞の理由は「経済的・社会的発展を草の根から生み出す努力」に対して。
彼が始めた「マイクロファイナンス(小口金融)」の手法は、いまや世界中に広がっています。
ユヌスは、こんな言葉を遺しています。
「貧困は、貧しい人が作ったのではない。私たちが作った制度と概念によって作られたのだ」
問題は人にあるのではなく、仕組みにある。だから、仕組みを変えれば、人は変わる。
そしてもう一つ、印象的な言葉があります。
「すべての人間は、起業家として生まれてくる」
誰もが可能性を持っている。ただ、それを発揮する機会が与えられていないだけだ――。
売り手よし、買い手よし、世間よし。日本の近江商人が四百年前から説いてきた商いの形とも、深いところで重なります。(近江商人「三方よし」の記事はこちら)
あなたの周りにいる、「動かない」と思っていた人。
その人が力を発揮できる仕組みを、こちらが用意できているでしょうか。
たった27ドルが、42世帯の運命を変えました。
小さな仕組みの工夫が、思いがけないほど大きな変化を生むことがあるのです。
(ユヌスの「小さな積み重ね」を、他の4人との共通点から振り返るまとめ記事です。5人の賢者――すぐに結果が出ないことに、耐えられますか)
(同じ結論に、70年も早くたどり着いていた日本人がいます。余命わずかと診断された21歳でスラムに移り住み、そこで14年暮らした末に「善意を仕組みに変える」ことを選んだ人です。賀川豊彦――生協も共済も、スラムに14年住んだ一人から始まった)
この人物を、もっと知りたい方へ
ムハマド・ユヌスの著書は、経済の本でありながら、一人の人間が常識に挑む物語として読めます。
ご紹介するのは、ユヌス自身が「ソーシャル・ビジネス」という新しい事業のかたちを提唱した一冊です。利益を最大にすることではなく、社会の課題を解くこと自体を目的にした会社を、どう作り、どう回すのか。グラミン銀行での経験を土台に、その設計図が語られています。
『貧困のない世界を創る ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義』(早川書房・ムハマド・ユヌス/猪熊弘子 訳)
人を信じることが、いかに現実的な"設計"になりうるか。27ドルの話を知った今なら、その発想が、より具体的に見えてくるはずです。
人物プロフィール:ムハマド・ユヌス
経歴・功績
ひとことで:「貧しい人は信用できない」という常識に、たった27ドルの融資で挑み、人を信じることを"仕組み"にして貧困と闘った経済学者。
