和育道〜wa-iku〜

賢者名鑑 / バングラデシュ

ムハマド・ユヌス

Muhammad Yunus

1940年6月28日(存命)|チッタゴン(当時はイギリス領インド帝国ベンガル管区。現・バングラデシュ)

貧困は、貧しい人が作ったのではない ── 問題は、仕組みの側にある

ムハマド・ユヌスの記事の挿絵
村の朝。必要だったのは、ほんの少しの元手と、信じる仕組みだった(挿絵:和育道)

どんな人か

担保も契約書もなく少額を貸す「マイクロクレジット」を確立し、グラミン銀行を創設した経済学者です。2006年、グラミン銀行とともにノーベル平和賞を受けました。

その出発点は、私財から出したわずか27ドルでした。村の女性たち42世帯に貸し、全員が返済した——この一度きりの経験が、世界に広がる仕組みになりました。

基本データ

生まれ
1940年6月28日出典1
生まれた地
チッタゴン(当時はイギリス領インド帝国ベンガル管区。現・バングラデシュ)出典1
分野
経済学者・実業家・社会活動家出典3
学歴と経歴
チッタゴン大学を経て、アメリカのヴァンダービルト大学で経済学の博士号を取得出典3帰国後、チッタゴン大学で経済学部長を務めた
最初の融資
1976年、私財から27ドルを村の女性たちへ出典31974年のバングラデシュ大飢饉に直面し、村の実態調査に入ったことがきっかけ。全員が返済した
グラミン銀行
1983年に正式設立出典3担保も契約書もなく少額を貸す「マイクロクレジット(小口融資)」を確立。融資の大半を女性に行い、5人1組のグループによる相互扶助の仕組みを導入した
ノーベル平和賞
2006年、グラミン銀行とともに受賞出典3
ソーシャル・ビジネス
社会課題の解決を目的とする事業の提唱者出典3その考え方は世界の企業やNPOに影響を与えている
近年
2024年8月から2026年2月まで、バングラデシュ暫定政府の首席顧問出典3退任後は、ふたたびグラミン銀行の活動に軸足を戻している(2026年9月時点で確認できる範囲)

27ドルが、42世帯の運命を変えた

彼はアメリカで経済学の博士号を取り、帰国してチッタゴン大学の経済学部長になりました。順調な学者の道です。

ところが1974年、バングラデシュを大飢饉が襲います。教室で理論を教えることへの疑問が消えず、彼は貧しい村の実態調査に入りました。

そこで知ったのは、村の女性たちが、わずかな元手がないために高利貸しに搾取されている実態でした。必要なのは、ほんの少しのお金だけだった。1976年、彼は私財から27ドルを融資します。

結果は——全員が返済しました。「貧しい人はお金を返さない」という常識が、事実ではなかったのです。担保も契約書もいらない。必要なのは、人を信じる仕組みのほうでした。

1983年にグラミン銀行を正式に設立。融資の大半を女性に行い、5人1組のグループで支え合う仕組みを導入しました。返済率は極めて高い水準を保ち、その手法は世界中へ広がっていきました。

ゆかりの地

1940

バングラデシュ・チッタゴン出典3

生誕の地。のちにこの地の大学で経済学部長を務め、近隣の村で最初の融資を行った。

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出典

  1. ウィキペディア「ムハマド・ユヌス」
  2. 和育道「ムハマド・ユヌス――27ドルが、42世帯の運命を変えた」(記事本文の表記に準拠)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。