和育道〜wa-iku〜

賢者名鑑 / 日本

塙保己一

はなわ ほきいち

1746年 — 1821年|武蔵国児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市)

群書類従 ── 残された一点に、41年を注いだ

塙保己一の記事の挿絵
版木と書物。41年かけて、666冊(挿絵:和育道)

どんな人か

江戸時代後期の国学者です。7歳で完全に失明しながら、散逸のおそれがあった古文書・歴史書・文学作品を後世に残すため、『群書類従』の編纂に生涯を捧げました。

かかった年月は、約41年。完成した書物は666冊にのぼります。ヘレン・ケラーが幼少期から目標としていた人物としても知られます。

基本データ

生まれ
1746年出典3
没
1821年出典3
生まれた地
武蔵国児玉郡保木野村(現在の埼玉県本庄市)出典3
分野
国学者出典3
失明
5歳で病により視力を失いはじめ、7歳で完全に失明出典315歳で江戸に出て雨富須賀一検校に入門するが、按摩や鍼は上達せず、学問の道へ進んだ。賀茂真淵に国学を学ぶ
『群書類従』
約41年をかけて666冊を完成させた出典3散逸のおそれがあった古文書・歴史書・文学作品を後世に残すための編纂事業。版木17,244枚は現存し、国の重要文化財に指定されている
後進の育成
和学講談所を開いた出典3
原稿用紙の原型
版木の「20字×20行」の様式が、のちの原稿用紙の原型になったといわれる出典3
ヘレン・ケラーとの縁
ヘレン・ケラーが幼少期から目標としていた人物として知られる出典31937年の来日時には、渋谷の温故学会を訪れている

41年かけて、666冊を遺した

5歳で病により視力を失いはじめ、7歳で完全に失明しました。15歳で江戸に出て雨富須賀一検校に入門しますが、按摩や鍼は上達しません。

そこで彼が進んだのが、学問の道でした。賀茂真淵に国学を学びます。目が見えないまま、文字の世界へ入っていったのです。

そして彼は、自分のためではない仕事を始めます。当時、古い書物が次々と失われつつありました。このままでは、先人の遺した文章が消えてしまう。

『群書類従』の編纂。散逸のおそれがある古文書・歴史書・文学作品を集め、版木に彫って残す事業です。約41年をかけて666冊を完成させました。版木17,244枚は現存し、国の重要文化財に指定されています。

面白いのは、その版木の「20字×20行」という様式が、のちの原稿用紙の原型になったといわれることです。目の見えない人が決めた枠の中で、その後の日本人は文章を書き続けてきたことになります。1937年、来日したヘレン・ケラーは、渋谷の温故学会を訪れました。

ゆかりの地

1746

埼玉県本庄市(旧・武蔵国児玉郡保木野村)出典3

生誕の地。

—

温故学会(東京都渋谷区)出典3

『群書類従』の版木17,244枚が保管されている場所。1937年、来日したヘレン・ケラーが訪れた。

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出典

  1. ウィキペディア「塙保己一」
  2. 和育道「塙保己一――ヘレン・ケラーが目標にした、7歳で光を失った日本人」(記事本文の表記に準拠)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。