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賢者名鑑 / アメリカ
ヘレン・ケラー
Helen Adams Keller
1880年6月27日 — 1968年6月1日|アメリカ合衆国 アラバマ州タスカンビア
言葉を得ることは、世界を得ること ── 名前のつかないものは、扱えない

どんな人か
生後19か月のときの高熱で、視力と聴力を失いました。言葉を覚える前だったため、話すこともできなくなります。音も光も、そして言葉もない世界で幼少期を過ごしました。
6歳のときに家庭教師アン・サリバンと出会い、7歳で「言葉」を手にします。そこから学問を修め、著述と講演で生涯を障害者の権利向上に捧げました。日本にも3度来ています。
基本データ
- 生まれ
- 1880年6月27日出典1
- 没
- 1968年6月1日出典1
- 生まれた地
- アメリカ合衆国 アラバマ州タスカンビア出典1
- 分野
- 著作家・教育者・社会運動家出典3
- 視力と聴力
- 生後19か月のときの高熱により失った出典3言葉を覚える前だったため、話すこともできなくなった
- 運命の日
- 1887年4月5日、ポンプ小屋で手のひらに「w-a-t-e-r」と綴られた出典3その日のうちに30語、三週間で100語を超える語彙を得た。家庭教師のアン・サリバン自身も、幼少期にトラコーマで視力を大きく損なった経験を持っていた
- 学歴
- 1904年、ラドクリフ・カレッジ(ハーバード大学の女子カレッジ)を卒業出典3視覚と聴覚に障害のある人物として初めて学士号を取得したとされる
- 日本との縁
- 生涯に3度来日(1937年・1948年・1955年)出典3
- 受章
- 1964年、アメリカ大統領自由勲章出典3
一語が、世界をひらいた
1887年4月5日。ポンプ小屋で、サリバン先生がヘレンの片手に冷たい水を当て、もう一方の手のひらに「w-a-t-e-r」と綴りました。
それまでも、手のひらに文字を書かれることはありました。けれどそれは意味のない指の動きでしかなかった。この日、はじめて「この冷たいものには、名前がある」と分かったのです。
その日のうちに30語、三週間で100語を超える言葉を覚えたと伝えられます。物に名前があると知った瞬間、世界のすべてが「知ることのできるもの」に変わった——堰を切ったような語彙の増え方が、そのことを物語っています。
言葉を得たあとの歩みは速かった。話す訓練に取り組み、点字で学び、1904年にラドクリフ・カレッジを卒業。視覚と聴覚に障害のある人物として初めて学士号を取得したとされます。
そして彼女は、自分の世界を広げるだけで終わりませんでした。障害者の権利、女性の権利、労働問題——世界を回り、発言し続けた。ひらかれた扉を、次の人のためにも押し開け続けた生涯でした。
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数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。
