和育道〜wa-iku〜

賢者名鑑 / 日本

日野原重明

ひのはら しげあき

1911年10月4日 — 2017年7月18日|山口県山口市(旧・吉敷郡下宇野令村)

いのちとは、使うことのできる時間

日野原重明の記事の挿絵
時計と手帳。終える用事だけでなく、誰と過ごしたいかも予定に入れてみる(挿絵:和育道)

どんな人か

長年にわたって医療に携わった医師であり、教育者でもありました。子どもたちへの「いのちの授業」や、高齢者の社会参加を通して、生きることを問い続けた人です。

その授業で子どもに手渡したのは、むずかしい説明ではありませんでした。「いのちとは、その人が使うことのできる時間です」——それだけでした。

基本データ

生まれ
1911年10月4日出典1
没
2017年7月18日出典1
生まれた地
山口県山口市(旧・吉敷郡下宇野令村)出典1
分野
医師・教育者出典3
いのちの授業
子どもたちに「いのち」を語る授業を各地で行った出典3授業を迎えた校長の回想に、子どもに語りかけ、一緒にピアノを弾いた姿が記されている
高齢者の社会参加
高齢になっても社会と関わり続けることを説き、自ら実践した出典3

いのちを、子どもに届く言葉にする

医師として長く生と死に向き合った人が、子どもたちに語ったのは、たった一行でした。「いのちとは、その人が使うことのできる時間です」。

授業を迎えた校長の回想には、子どもに語りかけ、一緒にピアノを弾いた姿が記されています。専門用語も、難しい理屈もない。子どもが自分の今日と結びつけて考えられる言葉にして、手渡しました。

記録ではこのあと、自分のためだけでなく人のためにも時間を使うことへ、話が続いています。いのちを「長さ」ではなく「使い道」として語ったのです。

ただしこれは、忙しく働き続けなければ価値がない、という意味ではありません。休む時間も、助けてもらう時間も、生きる時間の一部です。誰かのために何かをする余裕がない日もあります。

だから、差し出せる時間は人によって違っていい。話を5分聞く。初めて来た人に声をかける。小さくても無理のない関わりには、続けられる強さがあります。誰かの話を聞く時間は、目には見えない贈り物なのだと思います。

この人の言葉

いのちとは、その人が使うことのできる時間です。出典3「いのちの授業」を振り返る校長の記録より。記事ではやまぐち総合教育支援センターの記録を出典としている

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出典

  1. ウィキペディア「日野原重明」
  2. 和育道「日野原重明――話を聞く時間も、贈り物になる」(記事本文の表記に準拠。記事内ではやまぐち総合教育支援センターの記録を出典としている)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。