賢者名鑑 / 日本
石田梅岩
いしだ ばいがん
1685年 — 1744年|丹波国桑田郡東懸村(現在の京都府亀岡市)
先も立ち、我も立つ ── 両方が立つ形だけが、長く続く

どんな人か
江戸時代中期の思想家で、石門心学の創始者です。商人の利益は武士の禄と同じ正当な報酬であると説き、商いに倫理の裏づけを与えました。
その思想は全国に広まり、近江商人の「三方よし」や、渋沢栄一の道徳経済合一説にもつながっていきます。
基本データ
- 生まれ
- 1685年出典3
- 没
- 1744年出典3
- 生まれた地
- 丹波国桑田郡東懸村(現在の京都府亀岡市)出典3
- 分野
- 思想家。石門心学の創始者出典3
- 商いの現場
- 11歳で京都へ丁稚奉公。23歳で再び京都へ出て呉服商・黒柳家に奉公し、43歳まで20年以上勤めて番頭となった出典3その間、神道・儒教・仏教を独学で学び続けた
- 講義
- 45歳で店を辞め、京都の自宅で講義を始めた出典3聴講料は無料、出入り自由、身分を問わず、女性の聴講も認めるという当時としては異例の形式だった
- 主著
- 『都鄙問答』(1739年刊)出典3商人の利益は武士の禄と同じ正当な報酬であると説き、商いに倫理の裏づけを与えた
- 後世への影響
- 石門心学として全国に広まり、近江商人の「三方よし」や渋沢栄一の道徳経済合一説にもつながった出典3
商いに、道を通した男
当時、商人は「ただ物を右から左へ動かして儲けているだけ」と見下される存在でした。武士の禄は正当でも、商人の利益は卑しいものだと。
梅岩は、それを正面から否定します。商人の利益は、武士の禄と同じく正当な報酬である——1739年刊の『都鄙問答』で、そう説きました。
彼自身が、商いの現場を知り抜いていました。11歳で京都へ丁稚奉公に出て、奉公先が傾いて帰郷。23歳で再び京都へ出て呉服商に奉公し、43歳まで20年以上勤めて番頭になっています。その間ずっと、神道・儒教・仏教を独学で学び続けました。
45歳で店を辞め、京都の自宅で講義を始めます。聴講料は無料、出入り自由、身分を問わず、女性の聴講も認める——当時としては異例の形式でした。
商いは、相手から奪うことではない。「先も立ち、我も立つ」——相手も立ち、自分も立つ。だから正当なのだ、と。その考えが石門心学として全国に広まっていきました。
この人の言葉
先も立ち、我も立つ出典3『都鄙問答』に伝わる考え方。相手も立ち、自分も立つ商いこそが正当である
ゆかりの地
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出典
数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。
