和育道〜wa-iku〜

賢者名鑑 / 日本

川淵三郎

かわぶち さぶろう

1936年12月3日(存命)|大阪府泉北郡高石町(現・高石市)

クラブに、企業名を入れさせない ── そのチームは、誰のものか

川淵三郎の記事の挿絵
夕暮れのスタジアム。そこに掲げられるのは、会社の名ではなく町の名(挿絵:和育道)

どんな人か

日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」を立ち上げ、初代チェアマンを務めた人です。1993年5月15日、10クラブで開幕しました。

彼が押し通したのは、たった一行のルールでした。「クラブ名に、企業名を入れない」。日本中の町にプロのクラブがある今の風景は、この一行から始まりました。

基本データ

生まれ
1936年12月3日出典1
生まれた地
大阪府泉北郡高石町(現・高石市)出典1
分野
サッカー選手・指導者・スポーツ団体経営者出典3
選手として
早稲田大学から古河電気工業へ。日本代表として1964年の東京オリンピックに出場出典3引退後は会社員として働きながら日本代表監督も務めた
Jリーグ開幕
1993年5月15日、初代チェアマンとして迎えた出典310クラブ、舞台は国立競技場。1991年から設立準備の中心を担った
押し通した一行
クラブ名から企業名を外すことを発足の条件にした出典3強い反発を受けながらもこれを貫いた
Jリーグ百年構想
地域に根ざしたスポーツクラブづくりを提唱出典3
その後の役職
日本サッカー協会会長、日本バスケットボール協会会長などを務めた出典32026年9月時点で確認できる範囲

そのチームは、誰のものか

日本には長いあいだ、プロサッカーリーグがありませんでした。あったのは実業団のリーグです。観客は数百人。スタンドはがらがらでした。

1991年、プロリーグ設立準備の中心となった川淵は、発足の条件として一行のルールを掲げます。「クラブ名から企業名を外すこと」。

これがどれほど無茶な要求か、想像してみてください。当時のチームはすべて実業団です。会社が金を出し、社員が選手をやっている。その会社に向かって「お金は出してください。ただし名前は出さないでください」と言っているわけです。

当然、猛烈な反発が起きました。とくに読売クラブをめぐる対立は大きく、親会社の側は企業名を掲げるのが当然だという立場を崩さず、論争は長く尾を引きました。それでも川淵は貫きました。

なぜか。企業名を外せば、そのクラブは会社のものではなく、町のものになるからです。のちに掲げた「Jリーグ百年構想」は、地域に根ざしたスポーツクラブづくりそのもの。いま日本中の町にクラブがあるのは、あの一行が守られたからです。

この人の言葉

クラブ名に、企業名を入れない出典3Jリーグ発足の条件として掲げたルール。会社のチームではなく、町のクラブにするための一行だった

ゆかりの地

1936

大阪府高石市出典3

生誕の地。

1993

国立競技場(東京都)出典3

1993年5月15日、Jリーグ開幕の舞台。10クラブでのスタートだった。

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出典

  1. ウィキペディア「川淵三郎」
  2. 和育道「川淵三郎「クラブに、企業名を入れさせない」――そのチームは、誰のものか」(記事本文の表記に準拠)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。