和育道〜wa-iku〜

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賢者名鑑 / アメリカ

レッド・アワーバック

Arnold "Red" Auerbach

1917年9月20日 — 2006年10月28日|アメリカ合衆国 ニューヨーク州ブルックリン

「一度勝つ」と「勝ち続ける」は、まるで違う

レッド・アワーバックの記事の挿絵
円になって手を重ねるチーム。星ではなく、輪で勝つ(挿絵:和育道)

どんな人か

NBAのボストン・セルティックスを率い、1959年から1966年まで8年連続で優勝した監督です。この8連覇は、いまも破られていません。

しかし彼が本当にすごいのは、優勝した回数ではありません。自分が現場を去ったあとも、チームが勝ち続けたことです。強い監督ではなく、強い「文化」をつくった人でした。

基本データ

生まれ
1917年9月20日出典3
没
2006年10月28日出典3
生まれた地
アメリカ合衆国 ニューヨーク州ブルックリン出典3
分野
バスケットボール指導者・球団経営者(NBA)出典3
主な所属
ボストン・セルティックス出典31950〜1966年ヘッドコーチ。その後もGM・球団社長・副会長を歴任した
8連覇
1959〜1966年の8年連続優勝は、いまも破られていないNBA記録出典3ヘッドコーチとして通算9度のNBA優勝。フロント時代を合わせると計16度の優勝に関わったとされる
チーム・ファースト
得点を特定のスターに集中させなかった出典3黄金期のチームからはリーグ得点王が出なかったと言われる。控えの主力を切り札として投入する「シックスマン」戦術の先駆者でもある
人種の壁を破る
NBA初の黒人選手ドラフト指名(1950年)ほか出典3先発5人全員が黒人という布陣(1964年)、主要プロスポーツ初の黒人ヘッドコーチの起用(1966年、ビル・ラッセルを選手兼任で)を実現した
殿堂と顕彰
1969年バスケットボール殿堂入り出典3NBA最優秀コーチに贈られる賞は、彼の名を冠して「レッド・アワーバック・トロフィー」と呼ばれている
トレードマーク
勝利を確信するとベンチで吸った「勝利の葉巻」出典3

一度勝つことと、勝ち続けること

一度勝つのは、優れた選手がいればできます。勝ち続けるには、別のものが要る——アワーバックはそれを知っていました。

彼は得点を特定のスターに集中させませんでした。黄金期のセルティックスからは、リーグ得点王が一人も出なかったと言われます。派手な数字より、全員で分け合う勝ち方を選んだのです。

だから彼は、地味な役割を担う選手を心から尊重しました。守備で身体を張る者、リバウンドを拾う者、ベンチから流れを変える者。控えの主力を切り札として送り込む「シックスマン」という考え方も、彼が先駆けです。記録に残らない仕事に、居場所と誇りを与えた。

そして彼は、勝ち方を次の世代へ手渡しました。監督を退いたあともフロントで球団を支え、コーチ時代とフロント時代を合わせて計16度の優勝に関わったとされます。名将が去っても勝ち続ける組織——それが彼の本当の作品でした。

人種の壁を破った先駆者でもあります。NBAで初めて黒人選手をドラフト指名(1950年)、先発5人全員が黒人という布陣(1964年)、主要プロスポーツ初の黒人ヘッドコーチの起用(1966年、ビル・ラッセルを選手兼任で)。勝つために最善を選び続けた結果が、時代を先へ進めました。

ゆかりの地

1917

アメリカ・ニューヨーク州ブルックリン出典3

生誕の地。

1950

ボストン(アメリカ・マサチューセッツ州)出典3

セルティックスのヘッドコーチに就任し、以後この街で「勝ち続ける文化」を築いた。

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出典

  1. ウィキペディア「レッド・アワーバック」
  2. 和育道「レッド・アワーバック――「一度勝つ」と「勝ち続ける」は、まるで違う」(記事本文の表記に準拠)

数字や表記は、記事本体に合わせています。出どころで食い違うものは、両方を併記しました。